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 「今回の反日デモは,日本の製造業の持続的な発展のために何をすべきかを考える好材料だ」と語るのは,日系メーカーの中国現地工場に長年勤務した遠藤健治氏だ。このまま生産拠点や投資の“中国シフト”が続けば,日本の製造業の競争力は低下する一方。「日本国内への投資に再び積極的にならないと,近い将来,日本の製造業はガタガタになる。日本メーカーは反日デモで明らかになったチャイナリスクを,そのことを真剣に考える機会とした方がよい」(同氏)と警鐘を鳴らす。

止まらない技術やノウハウの流出

 『脱中国依存』どころか,遠藤氏は「場合によって日本メーカーは,中国から生産拠点を引き揚げることまで真剣に考えるべき時が来ている」とまで言う。何が何でも生産拠点を中国からなくすべきだと主張しているわけではない。予想に反し,中国に進出した多くの日本メーカーの競争力が,中国メーカーと比べて著しく低下している現実を同氏は目の当たりにして,「日本メーカーは,もう少し日本生産と中国生産との力の配分を考えるべきだ」と主張しているのである。その理由の一つは,日本から中国への技術やノウハウの流出が止まらないことだ。

 「今の中国の製造業の競争力の礎は,外資系メーカーが築いたといっても過言ではない。日本メーカーはその代表格。低コストを目指して中国に進出し,現地工場の製造部門や開発部門で中国人の従業員をアシスタントとして雇った。そして,日本メーカーの技術者は,日本メーカーの競争力の源泉であるものづくりの『イロハ』を懇切丁寧に教えた」(同氏)。アシスタントの多くは,その能力の高さや懸命な努力も加わってどんどん成長し,一部がその後日系メーカーを離れて中国メーカーに就職する。その結果,日系メーカーの技術やノウハウを吸収して自分のものとした人材が輩出され,もともと高かったコスト競争力を存分に生かして中国メーカーは躍進していったのだ。

 中国における白物家電やテレビ受像機,オーディオ,携帯電話機,パソコンの市場に,日本メーカーは10年も前から進出している。ところが今,中国の国内市場で売れているのはほとんどが中国メーカーの製品で,多くの日本メーカーの製品は見る影もない状態にある。「多くの日本メーカーは,低コスト化のために中国生産に切り替え,巨大だと期待されていた中国市場でしかるべき利益を得るはずだった。ところが,そのもくろみは外れ,中国市場で思ったほど利益を上げられていない」(同氏)。

 半世紀ほど前の米国・欧州と日本の関係が,時を経て今は日本と中国の関係として現れたかのようだ。

「中国からの撤退」が難しくない理由

 いったん進出したものを撤退するとなれば,そこにはマイナス面もある。しかし,日本メーカーにとって生産拠点の中国からの撤退はそれほど困難ではないと遠藤氏は言う。まず,中国では工場に対する初期投資が日本と比べてずっと低額で済んでいる。生産効率を高めるために,日本では設備や機械を多く入れて対処するが,中国では作業員を増やして対応するからだ。建屋などが中国政府からの“レンタル工場”であることも多い。

 そのため,日本メーカーにとっては,中国現地工場を畳むことは日本の工場を畳むことほどには痛みを伴わない。中国では現地企業の工場も含めて作業員の大量解雇は日常茶飯事。企業イメージに対する影響は小さいという。こうした現実に,人民元の上昇や政権の不安定,日本の製造業の空洞化といったチャイナリスクを踏まえれば,「中国撤退論」もあながち極論とは言えないと同氏は指摘するのである。

日本に居ながらにして中国よりも低コストにする方法

 ただし,もちろん生産拠点を中国から単に引き揚げるだけで,日本メーカーの競争力が今以上に高まるわけではない。遠藤氏は「日本メーカーは,中国から撤退した分のリソースを日本に投入し,日本に居ながらにして中国よりも低コストでものづくりを行う方法を模索すべき」と主張する。

 そんなことは可能なのだろうか。電気・電子機器などを例に,考え直してみたい。中国における生産が低コストである主な理由は,(1)人件費が低いことと,(2)最近導入したばかりで性能や効率が高い製造装置があることなどだろう。日本メーカーが中国での生産を始めた当初は,(1)の人件費の低さから,いわゆる“人海戦術”に重きを置いていた。しかし,このところ電子機器の価格下落が激しく,中国の人件費は上昇しているので,多くの日系メーカーは人海戦術に加えて最新の技術を真っ先に中国現地工場に導入するようになっている。こうした状況変化を踏まえて見直すと,今やコスト削減の効果は,人海戦術がもたらすものよりも最新の技術がもたらすものの方が勝るようになっているというのだ。

 「コスト競争力の高い製造技術や材料技術などに関する最新の開発成果が,今は真っ先に中国に導入されている。これを一番最初に日本に導入すればよい。そうすれば,技術革新によってもたらされるコスト削減を日本メーカーはもっと享受できる。しかも,最新の製造技術を盛り込んだ機械や材料の価格は日中間で差はない。さらに言えば,こうした最新技術が生み出す高性能な回路基板のようなキーデバイスは日本でしか造れないことになり,中国に輸出することになる。すると,中国で生産しようにも,日本からの輸送費がコストに上乗せされる。こうして,キーデバイスのコストが日本よりも高いということがしばしば起こっている」(遠藤氏)。

 残るは人件費だが,遠藤氏は「コスト構成を詰めれば,人件費の差など吸収できる」と主張する。1985年の超円高をきっかけに,多くの日本メーカーが低コストを求めてアジアに工場を移転した。移転先は,技術力や人件費などを秤に掛けながら,韓国,台湾,東南アジアと順に変わっていき,たどり着いたのが中国だった。こうした背景から,いまだに多くの日本メーカー,特に中小メーカーが「中国で造りさえすれば,最も低コストになる」と信じて疑わないという。つまり,生産を中国シフトした段階で最低のコストになっていると決め込んでいるのだ。そのため,多くの日本メーカーが,コスト構成をきちんと詰めていない。日本メーカーは,資材調達から製造,市場投入までの全工程に目を配り,コスト削減の可能性を探す必要がある。

 例えば,シーケンサ。「ある日本メーカーが中国現地工場で生産して販売したシーケンサは1個8500円だった。これを日本メーカーで内製したら3800円と,半値以下となった。その秘訣は,カスタム仕様として内製したから。中国製のシーケンサは汎用品だったため,機能が盛りだくさんで使いやすい半面,ユーザーにとっては余計な機能が付いていた。そのため,カスタム仕様では必要な機能だけに絞り込み,その機能は汎用品よりも高める一方で,残りの機能は一切省いた。このように,小回りが利く場合はそうした方が,コスト削減には有利に作用することが多い」(遠藤氏)。

「カンバン方式」にも飛び付かずに慎重に検討

 中国生産に移行せずに日本生産を貫く決心をし,そのために極めて高いコスト競争力を持つことで有名なトヨタ自動車に学ぼうとする日本メーカーも多いことだろう。中でも「カンバン方式」はよく知られる手法だが,遠藤氏はこの手法も常に低コストを約束するとは限らないと指摘する。カンバン方式に従って,資材調達の担当者が必要なときに必要な量の材料を調達するために,外部の材料や部品業者に発注したり止めたりを繰り返す。だが,この方法では資材担当者が材料の監視のために常駐しなければならず,人件費が掛かる上に,外部の業者との通信費もばかにならないという。

 これに対し,「例えば先に調達費用を年率数%の利子で借りて,あらかじめ材料や部品の在庫を一気に仕入れておくとする。この場合,仕入れた後は資材担当者が不要になり,その分,人件費を圧縮できる。今は金利が低いこともあって,条件次第では外部からお金を借りて金利を支払った上,材料や部品の在庫を抱えた方が,カンバン方式に従った調達よりもコストが削減できることもあり得る」(同氏)。

 日中間で人件費は,作業員クラスでざっと20~30倍,技術者クラスでもざっと10倍の開きがあると言われている。「一見,絶望的な隔たりがあるように思えるが,実際にはそれぐらいの差はいくらでも詰められる。そのために日本メーカーに必要なことは,やはりものづくりの総合力だ」と遠藤氏は力説する。

 日本メーカーには長い時間をかけて培った高い技術力と豊富なノウハウの蓄積がある。権利化された特許なども多い。開発と設計,製造部門などの複数の部門が「擦り合わせ」と呼ばれる密接なコミュニケーションや協力で付加価値の高い技術を生み出す環境や土壌もある。「こうした日本の製造業の“資産”や“地の利”を存分に生かすことに知恵を絞れば,製品の付加価値でもコスト競争力でも中国メーカーにそう簡単には負けないだろう」(日本政策投資銀行新産業創造部課長の木嶋豊氏)。

 中国現地工場で良好なコミュニケーションに努めてトラブルを最小限に抑える一方で,もう一度自社の中国生産によるメリットとデメリットを検証する。その結果,デメリットの方が大きいと分かれば,中国に依存しすぎた分を日本国内で徹底してカバーする。こうした検証を怠って生産拠点を安易に中国に移転させた日本メーカーほど,チャイナリスクの悪影響を受ける可能性が増大する。(---完---)

    連載の目次
  1. 怯える日本企業
  2. 狙われた現地工場
  3. 理不尽な理由
  4. 貧富と腐敗
  5. 壊滅するメーカー
  6. 意志疎通の力
  7. 正面を切る対峙
  8. 不良社員の変身
  9. 中国依存からの脱却
  10. 持続的成長への布石