図5●日経平均株価が下落 4月に入るやいなや,それまで1万1500〜1万2000円を維持していた日経平均株価が1万1000円を割り込む水準にまで急落した。
図5●日経平均株価が下落 4月に入るやいなや,それまで1万1500〜1万2000円を維持していた日経平均株価が1万1000円を割り込む水準にまで急落した。
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 日系メーカーにチャイナリスクの大きさを改めて知らしめ,不安に陥れたといっても言い過ぎではない中国の反日デモのニュースは,2005年4月に入るやいなや,突然日本に舞い込んできた。一連の反日デモの様子はテレビのニュース番組などで広く報道されたため,その光景が目に焼き付いている読者も多いことだろう(表:反日デモ関連の日中の動き)。大量のデモ隊が中国の国旗や横断幕を掲げながら大通りを行進し,その道中で日本の国旗や小泉純一郎首相の写真を破いたり,燃やしたり。こうした行動は次第にエスカレートし,ついにはデモ隊の一部が投石や損壊といった暴力行為にまで手を染めるという事態にまで発展した(別掲記事1:「日本の抗議むなしく,反日デモは拡大の一途へ」)。

日本メーカーの株価が下落

 一連の反日デモの悪影響は,日系メーカーにも波及した。それはまず株価に現れた。反日デモの発生が伝えられた4月初め,それまで1万1500~1万2000円で推移していた日経平均株価が,一時1万1000円を割り込む水準に急落した(図5)。この日経平均株価に連動して,多くの日本メーカーの株価が下落を見せている。

 株価下落の背景を,大和総研企業調査第二部シニアアナリストの三浦和晴氏はこう分析する。「一連の反日デモが,日経平均株価を下げる要因の一つとなった可能性は高い。日本企業の生産拠点として中国の存在感が増している中,実際に日系メーカーの中国現地工場でストが起きた。こうしたストは,作業員の賃上げ要求によるコスト上昇や,工場の操業が停止し,生産がストップするというリスクにつながり得る。米国のNASDAQ市場の下落や米国のハイテク関連企業の株価下落,原油高に加えて,反日デモで明らかになった生産停止のリスクを株式市場は考慮して,日経平均株価が下がった」。

 三浦氏が指摘する「日系メーカーで起きたスト」とは,太陽誘電とユニデンの中国現地工場を襲った,反日デモに乗じた従業員による大規模なストのことだ(注:太陽誘電は「スト」ではなく,「反日デモ」と表現する)。ともに,現地工場が操業停止に陥る事態にまで発展した。

操業停止になった理由

 太陽誘電で発生した反日デモは,待遇改善を求めた当初数百人程度の従業員の集会が,次第に「抵制日貨(日本製品のボイコット)」などを訴える2000人規模の反日デモへと発展していったものだ。

 同社は中国に「東莞太陽誘電有限公司」と「太陽誘電(廣東)有限公司」の二つの隣接する現地工場を持つ。両工場では,携帯電話機やデジタルカメラなどに使用されるコンデンサやインダクタなどの電子部品を生産し,全世界に供給している。従業員は両工場で合計7000人ほど。従業員の多くは,発展が遅れている中国の内陸部からの出稼ぎ組で,工場の隣接地に建つ寮で生活しているという。

 中国では最低賃金が法律で規定されており,日系メーカーはこの最低賃金を基に従業員の賃金体系を構築する。太陽誘電の二つの現地工場がある東莞では,2005年3月1日から最低賃金を引き上げる法律が施行されていた。

 太陽誘電は,例年4月1日を基準に従業員の給与を見直し,5月15日から反映するという仕組みを取っている。そのため,同社は3月1日の時点では最低賃金の引き上げを実施しなかった。新しい給与水準に変わるこの5月15日のタイミングに合わせて,3月1日までさかのぼって最低賃金の差額を従業員に支給する計画だった。

 ところが,こうした計画が従業員にはきちんと伝わっておらず,従業員の中の「一部の不穏分子が,会社が新たな最低賃金に対応しないのではないかというデマを社内に流した」(同社)。このデマを聞き,不安を覚えた従業員の一部が4月16日の朝8時半ころ,職場を放棄して寮の前で集会を開いていた。この集会が,夜間勤務の従業員が仕事を終えて寮に帰ってくる時間帯と重なり,「寮の前に多くの従業員が重なる状況が偶発してしまった」(同社)。

 ここで「不穏分子の1人が」(同社)高い場所に上って日本製品のボイコットを叫び始めたことをきっかけに,同日の朝9時半ころから反日デモへと発展していった。反日デモに参加した従業員の一部は門の一部を壊したり,食堂の窓ガラスを割ったりするなどの暴力行為を働き,中国公安当局が駆けつける騒ぎとなった。こうして公安当局の手を借りた同社は,同日午後1時半ころに反日デモを沈静化。だが,この事態を受け,同社は4月16日と17日は2日間連続で現地工場の操業を停止する決定を下した。

 操業停止の間に,太陽誘電は現地工場の従業員が反日デモを起こした動機を把握することに努めた。4月18日には最低賃金の改定に伴う給与の変更に関して詳細な文書を作成。課長や係長クラスの現地の従業員を介して全従業員に対して説明し,作業員が抱える最低賃金に関する不安を払拭させたという。同社の現地工場は4月18日の夜から一部操業を再開し,ようやく「19日の夜から通常稼働に戻った」(同社)。

 一方,ユニデンのシンセンの現地工場である「友利電電子(シンセン)有限公司」でストが起きたのは4月18日のことだった。(次回に続く

表●中国で発生した反日デモに関連する日中の動き
日本経済新聞から抜粋し,一部本誌で追加して作成。
4月2日
成都で反日デモ。一連の反日デモの口火を切る。
4月3日
シンセンで反日デモ。
4月4日
谷内正太郎外務次官が王毅駐日大使に抗議。
4月9日
北京,成都で反日デモ。北京のデモでは,デモ隊が日本大使館や大使公邸にペットボトルや石,レンガを投げ,窓ガラスを割るなどの被害が出た。
上海で日本人留学生が飲食店で食事中に暴行を受けた。
谷内正太郎外務次官が程永華駐日公使に抗議。
4月10日
広州,シンセンでそれぞれ1万人以上の反日デモ。蘇州で数千人の反日デモ。広州のデモでは,デモ隊が日系企業の広告やポスターを切り裂くなどの行為を見せた。シンセンのデモでは,日系スーパーに投石して窓ガラスを割った。
日本の町村信孝外相が中国側に反日デモの謝罪と被害の賠償,再発防止を求めるが,中国外務省の秦剛副報道局長は「中国側に責任はない」という談話を発表。王毅中日大使にも厳重注意したが,中国側は謝罪を避けた。
4月12日
中国の温家宝首相が反日デモについて「日本は過去の歴史を直視すべき」と指摘し,謝罪を拒否。
4月15日
北京市公安当局報道官が無許可でもの取り締まりを強化すると発表。上海の公安局が無許可のデモを禁止。暴力行為は法的責任を追及するという警告を発表。
4月16日
上海で数万人規模の反日デモ。デモ隊の一部が暴徒化。日本総領事館に大量に投石して41枚の窓ガラスを割る。ペットボトルや汚物,インクの入った瓶なども投げ込む。日本総領事館前では日本の国旗が燃やされた。日本料理店や小売店など33件の看板や店舗,窓ガラスなどを破壊したり,落書きしたりした。備品に放火された店舗もあり。日本車を転覆させる被害も出た。日本人2人が軽傷を負った。
天津で2000~1万人規模,杭州で500~1万人規模の反日デモ。
太陽誘電の東莞にある現地工場で従業員2000人がデモ。当初賃金などの待遇改善を求めた数百人規模の集会だったが,次第に大規模なデモに発展した。門の一部が破壊され,窓ガラスに投石行為あり。大量の治安要員が出動して鎮圧。工場は操業停止。
上海市政府が「デモの原因は日本の誤った歴史認識にある」というコメントを発表。公安は破壊行為や暴力行為を抑制しなかった。
日本政府は原田親仁駐中国大使を通じて中国外務省の崔天凱アジア局長に抗議。
4月17日
瀋陽,寧波,アモイ,長沙,珠海,シンセン,香港など約十都市で反日デモ。瀋陽で1000~2000人,シンセンで数万人,廈門で約6000人,香港で1万人強の規模。
東莞にある太陽誘電の従業員が現地工場の周囲をデモ。工場は前日に引き続き操業停止。
ミツミ電機の珠海にある現地工場の周辺で数千人規模のデモ。
キヤノンとフジクラの珠海にある現地工場にデモ隊による投石行為。
町村信孝外相と李肇星外相との日中外相会談。町村外相は中国側に反日デモによる破壊行為への謝罪と賠償,再発防止を求めたが,李外相は「中国政府はこれまで一度も日本国民に申し訳ないことをしたことはない。今重要な問題は,日本政府が台湾,人権,歴史問題などで中国人民の感情を傷つけていることだ」と述べ,謝罪や賠償には触れなかった。
4月18日
ユニデンのシンセンにある現地工場で従業員約1万6000人がスト。操業停止。
太陽誘電の東莞にある現地工場で操業を一部再開。
中国の武大偉外務次官が反日デモの「原因は歴史問題にある。中国が謝罪する必要はない。もしも謝罪するとすれば先に謝罪するのは日本だ」と発表。
前日の町村信孝外相と李肇星外相との日中外相会談を受け,中国の新聞は一斉に「町村(外相)は日本が中国を侵略した歴史について,改めて深刻な反省とお詫びを表明した」と報道。一方で,反日デモについて日本が謝罪と賠償を求めたことは一切報じなかった。
4月19日
ユニデンのシンセンにある現地工場が前日に引き続き操業停止。
中国外務省の秦剛副報道局長が改めて日本への謝罪と賠償を拒否。
中国共産党宣伝部が過激な反日行動への不参加の呼びかけを発表。
4月20日
ユニデンのシンセンにある現地工場が前日に引き続き操業停止。
4月21日
ユニデンのシンセンにある現地工場はシンセン市の計画停電により生産計画はなし。
中国公安省が無許可のデモやインターネットでのデモ組織は違法であるとして,違反者を取り締まる方針を表明。
4月22日
ユニデンのシンセンにある現地工場が一部操業再開。操業率は60%。
中国国内で広がる日本製品排斥運動に関して,中国の薄熙来商務相が「両国の生産者と消費者の利益を損ない,我々の対外協力と発展の不利益となる」と主張。
4月23日
ユニデンのシンセンにある現地工場の操業率が85%に向上。
小泉純一郎首相と胡錦濤総書記(国家主席)との日中首脳会談。小泉首相は反日デモに伴う破壊活動に関して適切な対応を,胡書記は歴史問題に関して反省を行動に移してほしいと要請した。日本は直接謝罪や賠償を求めなかった。
4月24日
フジクラの珠海にある現地工場で予定していた休日の操業を臨時に停止。
4月25日
ユニデンのシンセンにある現地工場が通常操業に復帰。
上海市の公安当局が4月16日に発生した反日デモにおいて「一部の不法分子が自発的な反日デモに便乗し,投石で店舗を破壊したほか自動車を転覆させるなどして社会の秩序を乱した」という理由で,16人を刑法に基づいて逮捕し,26人を拘束した。
公安当局はテレビ局を通じて公表した。北京市の公安当局も4月9日に起きた反日デモで暴力行為を働いた7人を拘束した。
5月1日
メーデー。中国政府が反日デモの発生を封じ込めた。
5月4日
「五・四運動」記念日。中国政府が反日デモの発生を封じ込めた。
日本の抗議むなしく,反日デモは拡大の一途へ

 一連の反日デモは,4月2日の土曜日,成都で口火を切った。翌日の4月3日にはシンセンで反日デモが勃発。4月4日に日本の谷内正太郎外務次官が王毅中日大使に抗議するものの,全く聞き入れられず,4月9日には北京と成都で反日デモが起きた。このうち,北京の反日デモではデモ隊の一部が日本大使館や大使公邸に向かってペットボトルや石,レンガの破片などを投げつけ,窓ガラスを割るなどの被害が出た。そして,上海では日本人留学生が飲食店で食事中に中国人から殴られるなどの暴行を受ける事件まで発生した。

 4月10日には,広州とシンセンの両都市でそれぞれ1万人の大規模な反日デモが,蘇州では数千人規模の反日デモが起きた。広州のデモ隊の一部は日系企業のポスターなどの広告を破り捨て,シンセンのデモ隊の一部は日系スーパーの窓ガラスに石などを投げて破壊した。こうした暴力行為を受けて,日本の町村信孝外相は中国側に反日デモへの謝罪と被害の賠償などを求めるが,中国外務省の秦剛報道局長は「中国側に責任はない」という談話を発表。こうした中国政府の日本に対する強硬な姿勢は,さらに反日デモを勢いづけ,日本をさらに不安に陥れていった。

 中国側は4月15日に反日デモにおける暴力行為について法的責任を追及するという警告を発表したものの,反日デモの火はますます燃えさかり,4月16日には,上海で数万人規模の反日デモが勃発。日本総領事館や日本料理店,小売店,日本車などが,暴徒化したデモ隊の一部の攻撃の標的となった。同日,天津では2000人で始まった反日デモが1万人規模にまで膨れ上がり,杭州では当初500人だったデモ隊が最終的には同じく1万人規模にまで増大した。

 そして,4月17日には反日デモが爆発した。瀋陽,寧波,アモイ,長沙,珠海,シンセン,香港など約十都市で反日デモが発生したのだ。瀋陽で1000~2000人,シンセンで数万人,廈門で約6000人,香港で1万人強の規模となり,一連の反日デモの加熱がピークに達したのだ。

 ただし,中国全土が反日デモの炎で覆い尽くされたというわけではない。こうした過激なデモ隊の行動を冷静に見ていた中国人が多いことも事実だ。例えば,磁石メーカーで磁石の商社でもあるニッポーマグネスに勤める中国人の女性スタッフは,一連の反日デモについてこう語る。「気持ちは理解できるが,あのような破壊を伴う行動を起こすのは明らかにやりすぎ。成熟度が足りない。日中間の問題については別の方法で解決すべき。デモを起こしたのは一部であり,決して中国人の総意ではない」。

    連載の目次
  1. 怯える日本企業
  2. 狙われた現地工場
  3. 理不尽な理由
  4. 貧富と腐敗
  5. 壊滅するメーカー
  6. 意志疎通の力
  7. 正面を切る対峙
  8. 不良社員の変身
  9. 中国依存からの脱却
  10. 持続的成長への布石