モノの値段を決めるのは、とても難しいことです。
「適切な価格」というのは、特に定義があるわけでもなく、値付けの方法論もさまざま。原価からどれだけかさ上げすれば利益につながるのか。それも商品やサービスの内容、そしてどれだけ売るのかによって考え方は変わります。
安ければバカスカと売れるわけでもないし、高いからといって売れないわけでもない。その意味で、モノの値段は“あってないようなもの”なのだと感じます。
それを実感できる最適な場所があります。骨董市やフリーマーケットです。古美術品や古いおもちゃなど、マニア垂涎の品物については正直なところ、その価値はよく分かりません。分かる人には分かる世界でしょうけれども。
分かりやすいのは、骨董市に置かれている新しい商品。といっても、本当に新品ではなく、新古品というやつです。恐らく、家を整理したときなどに「贈答品だけれども、使わずに少しほこりをかぶっていたもの」といった感じで使われることなく流れてきたものでしょう。
それは古く見えるわけでもなく、むしろ基本は立派な商品だったりします。例えば陶器であれば、桐箱に入って作家名が書いてあるような。時に、百貨店の陶器売り場で数万円の値がついているような品だったりもするわけです。
でも、骨董市で下がっている値札はせいぜい数千円。店主と交渉すれば、もっと値段は下がるでしょう。500円均一の投げ売り品の中で見つけることも珍しくありません。百貨店では明かりに照らされ、きらびやかに見える品物も、需給で価格が決まる骨董市では、せいぜいその程度の需要だという価値判断をくだされているということです。
2016年2月(2月3日〜3月3日)に日経テクノロジーオンラインの「技術経営」サイトで多く読まれた記事は、モノの値付けに関する記事でした。アクセスランキング1位は「原価割れより深刻なマクドナルドの『客離れ』問題」、同2位は「『高性能』は顧客に訴求する唯一の要素ではない」です。
マクドナルドで思い出しました。10年ほど前、日本マクドナルドの取材でこんな話を聞いたことがあります。ちょうど「100円マック」や500円のバリューセットが登場し、世の中全体で100円ショップや500円弁当のような「ワンコイン戦略」が話題になっていた時代です。