前々回前回と2回にわたって、シャツ専業メーカーとして業績を伸ばし続けているメーカーズシャツ鎌倉(以下、鎌倉シャツ)を紹介してきました*1

 値引きをせず、「メード・イン・ジャパン」のものづくりにこだわり続ける。創業者自らが欲しいものを実現するために、アパレル業界でいち早く新しいビジネスモデルに挑戦してきた企業です。

 そのヒットの要諦は、三つありました。

■鎌倉シャツの「ヒットの要諦」
その1:
「自分が欲しいものを作る」。そのぶれない信念こそが新しいビジネスモデルを切り開く原動力となる!
その2:
安易な「メード・イン・ジャパン」ではなく、日本で作ることの価値をブランドにつなげるべし!
その3:
「長く愛される商品」を実現するために「不易流行」のバランスを真剣に考えよ!

 今回は、鎌倉シャツの商品企画や製造を担当するグループ会社のサダ・マーチャンダイジングリプリゼンタティブ(SMR)で生産企画を務める佐野貴宏氏へのインタビューをお届けします。同氏の言葉から見えてきたのは、鎌倉シャツの“こだわりのものづくり”でした。(以下、聞き手は筆者)

(写真:稲垣 純也)
(写真:稲垣 純也)
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業界の無駄な点を削ぎ落としていった

―― 今日はお時間をいただき、ありがとうございます。これまでも、さまざまなメディアで創業者の貞末良雄会長が語っているとは思いますが、まずはメーカーズシャツ鎌倉(以下、鎌倉シャツ)がシャツの専業メーカーを立ち上げた理由をおさらいさせてもらえますか。

佐野 その質問は本来なら貞末がお答えするのが一番ですね(笑)。私は創業期から会社にいたわけではなく、多店舗展開が始まったあとに入社したので、昔のことを堂々と語れる立場ではありません。

 それを前提に、当時の話を私が聞いている範囲でお答えします。貞末は、会社を立ち上げるに当たって服なら何でも良かったわけではないようです。シャツが良かった。なぜなら、シャツはビジネスマンにとっての必須アイテムで、シーズン性が少ない商品だからです。

―― 創業は1993年でしたよね。当時はシャツ専業で、いわゆる「SPA(製造小売、specialty store retailer of private label apparel)」という業態は珍しかったのですか。