【図1】幕張メッセ
【図1】幕張メッセ
[画像のクリックで拡大表示]

 のっけから私事で恐縮だが,今年も年末にかけての忙しい時期がやってきた。私はTech-On!のテーマサイト「ナノテク・新素材」を運営しているテーマサイト・マスターなのだが,実は日経エレクトロニクスや日経マイクロデバイス,日経ものづくりといった各媒体の統轄責任者でもある。その関係で,この時期になると,こうした各媒体の来年のビジョンや売上目標などを話し合う予算編成会議で予定がパンパンになる。

 というわけで手帳のスケジュール欄がどんどん黒く塗りつぶされていく。それは分かっていたのだが,休み明けの朝,手帳を見て唸ってしまった。ナノテク・新素材サイトのマスターとして,ぜひカバーしたいと思っていた「IPF(国際プラスチックフェア)2005」(2005年9月24~28日,幕張メッセ)に行ける時間は今日の午前中しかないではないか! 会場にいられる時間は2時間。少し迷ったが,ともかく幕張メッセに向かった(図1)。

2005年9月,幕張メッセにて

 ガシャッ,プシューッという成形機の作動音。たちこめる油のにおい——。この油のにおいを嗅ぐたびに思い出す情景がある。それは今から24年前…。

 1981年4月1日,私は日経マグロウヒル社(現日経BP社)に入社し,新雑誌を開発する部署(調査開発)に配属された。『日経プラスチック』という,樹脂材料から成形,製造までプラスチックを垂直的にとらえて情報提供する雑誌を作ろうとしていた。

 入社して数日後だったろうか,関係者との連日の酒席で「仕事とは酒を飲むことなのか」と勘違いを起こしかけていた私に,直属の上司が言った。

「泊まりで取材に行くから。場所は長野県○○町。会社の名前はA社」。

 いま思えばこの業界では「超」がつくほど有名な会社なのだが,このときは初めて聞く社名だった。だいたい,大学では有機化学を専攻していたものの,プラスチックについては何も知らなかった。「エンプラ(エンジニアリング・プラスチック)」という言葉も知らずに,直属上司に呆れられたほどである。

 上野駅に着くと,直属上司のほかに当時の弊社社長と調査開発長もいた。この会社は社長も記者と一緒に取材に行くのか,と驚いたが,開発案件だから行くのだということだった。社長,調査開発長,直属上司,私の4人は特急「あさま」のボックス席に座り,峠の釜飯を食べながら闇夜の信州路を上田に向かったのだった。

1981年4月,長野県・A社の工場にて

 翌朝,信州の地酒を飲みすぎて二日酔いの私たち(ただし飲みに出たのは社長を除いた3人)は,A社の広報担当者の案内で射出成形機の製造工場を見学した。ひと通り回ってその広報担当者は,近くの中華料理店を予約してあるからそこで昼食をしましょうと誘ってくれた。するとウチの社長は「申し訳ありませんが,できましたらこの工場の社員食堂で昼食を頂けないでしょうか?」と頼む。広報担当者は慌てて「え? カレーくらいしかないですし,工場なんで社員もいますし…それにあんまり快適とは…」と言うが,社長はそこをなんとかお願いしますと頭を下げる。

 結局,広報担当者が折れてくれて,社員食堂でカレーをいただいた。ギシギシ言う食堂のイスに腰掛けると広報担当者は厨房に走っていって,給仕のおばさんに指示をしているのが聞こえる。「肉多くして,肉を!」。

 肉が妙にたくさん入ったカレーを食べながら社長が言った。「藤堂君,いいかね。君の仕事は会社にいることではない。ましてや飲み屋でもない。ここなんだ。工場の現場なんだ。それを忘れないようにしなさい」。私は,機械油のにおいとカレーのにおいに包まれながら,その説教をけっこう神妙に聞いたのだった。

 その後,雑誌『日経プラスチック』の創刊は色々あって実現せず,そのときの社長も調査開発長も一線を退かれ,手取り足取り記者のイロハを教えてもらった直属上司はもうこの世にいない。私だけがまたこうしてプラスチックを取材している——。

2005年9月,再び幕張,大成プラスのブースにて

 短い時間にどのブースを見ようかを物色していると,ある成形メーカーのブースが目にとまった。大成プラスである。いつもは数コマ程度の出展規模だったはずだが,今回は数十コマの一大ブースになっている。これはいったいどうしたことかと,以前から懇意にしていただいている同社 社長の成富正徳氏の顔を思い浮かべながらブースに近づくと,なんと当の成富社長がアルミの板に立てたプラスチックのボスを金づちでガンガンたたくデモンストレーションを行っている(Tech-On!の関連記事)。

 あらためて説明すると,大成プラスの成富社長は,私が『日経ニューマテリアル』の記者だったころからの取材先である。最初にお会いしたのは十数年前,エラストマーと硬質プラスチックの一体成形について聞きに行ったときだった。エラストマーと硬質プラスチックの接合は難しく,通常は接着剤などで接合しており,人手をかけて面倒な工程である。これを成富氏は,射出成形の2色成形機で接合することに成功した。

 私の理解では,これは何か凄い接合の理論を発見したわけでも,何かまったく画期的な材料や装置なりを発明したわけではない。数多くの種類のエラストマー,相手方の硬質プラスチックを一つひとつ試し,さらには金型構造,成形条件など非常に多くのパラメータをいじって何回も成形トライアルを繰り返しながら試行錯誤でチューニングしていった成果である。「擦り合わせ型」の開発の典型と言えるかもしれない。

 何度も取材にでかけ,記事にもかなりの頻度でとりあげたのは,それだけが理由ではなかった。開発した一体成形技術を活用して,成富氏は新しい発想の製品設計や生産プロセスを次々に提案したからだった。私が特に注目したのは,携帯電話機の筐体である。硬質プラスチックの本体と押しボタン,それをつなぐエラストマーを一体成形し,しかもクリック感をもたせる構造を考案した。部品点数を大幅に減らし,ボタンと本体部の隙間がなくなるので砂や静電気が入り込まないというものだ。

 自動車部品では,エアバッグのカバーやランプ周りなど樹脂とゴムを接合した部品がたくさんある。これは手作業で接着剤を塗り付けて作られることが多い。労働集約的な工程で,改善が望まれていた。同氏はそれを金型内で一体成形し,しかも小型の成形機をインライン化して,成形品在庫をなくす手法を提案した。金型コストや設備投資の問題など様々な理由から実現しない提案も多かったが,その発想が面白かった。当時は家電製品の工場が東南アジアにどんどん移管され,中小成形メーカーが次々に廃業するという状況だった。そうした中で「工夫すれば日本にも成形工場は残るのではないか」という成富氏のメッセージを読者に紹介した。

 金づちを持っている社長に声をかけた。「社長,お久しぶりです。ところで今度は何なんですか?」「ナノテクですよ。ナノテク。NEDOの助成金もいただいて開発しましてね。明日からシンガポールに行ってナノテク関係の講演も頼まれてるんですよ——」。

 ナノテク・新素材のテーマサイト・マスターをやっているが,まさかこのIPFとナノテクが関係しているとは思わなかった。「どこがナノテクなんですか?」と聞くと,1枚の電子顕微鏡写真を見せてくれた(図2)。ある特殊な処理をすることによって,アルミ板の表面に20nm~30nmの凹凸ができる。このアルミの板を金型にインサートして硬質プラスチックを射出成形することにより,プラスチックがこの微細な穴に流れ込んで,アンカー効果によって接合されるという技術である。ソニーのデータ・プロジェクタに既に採用され,今後は薄型ディスプレイや自動車の構造体への採用を狙っているという(Tech-On!の関連記事)。

 「ある処理?どんなものですか?」と聞くと,「T処理と呼んでいます。詳細は勘弁してください。とにかく,ナノスケールの凹凸ができる条件を見つけるのにえらい苦労しました」という。これまでの彼の開発スタイルから,どんな開発ストーリーだったのか想像がついた。何回も試行錯誤を繰り返しながら,材料と処理条件を最適化していったに違いない。

ナノテクがプラスチックを救う?

 インサート成形の様子や成形品などを見せてもらっているうちに,時間がなくなってきた。「また,じっくり話をうかがわせてください」とお願いして,ブースを出た。

 ナノテクがプラスチックの世界でも注目されているようだ。そう思ってみると,今回のIPFにはナノテク関連の展示がかなりある。(1)ナノオーダーで結晶部と非晶部を構造制御したオレフィン系エラストマー,(2)無機化合物をナノオーダーでポリマに微分散させてガスバリヤ性を持たせたナイロン,(3)磁場を使って結晶をナノオーダーで制御したポリマ,(4)ナノ構造を持つPPE(ポリフェニレンエーテル)アロイ…などである。つまり,添加する強化材がナノオーダーの小さなものか,異種のポリマ間の界面や分散の構造をナノオーダーで制御しようとというものである。

 無機系の層間化合物であるクレイ(粘土)を高分子中にナノオーダーで微分散させる試みは従来からあり,製品化もされている。「ナノコンポジット」という言葉も昔からある。異種ポリマ間の構造を制御する試みも例えば,トヨタ自動車が開発したTSOP(トヨタスーパーオレフィンポリマ)に見られるように,エラストマーの結晶構造をナノオーダーで制御したものであったはずだ。液晶ポリマについても,溶融時の液晶状態と成形時の配向・成形品の自己補強効果が微細なレベルで検討されていた。

 プラスチックの性能向上のために,異種のポリマ同士を混ぜ合わせたり(ポリマアロイ),無機系の補強材を添加することは常套手段である。異種のポリマを混ぜ合わせる場合,互いに親和性(相溶性)のあるもの同士を組み合わせると作るのは簡単だが,両社の中間的な性能のポリマしか得られないことが多い。非相溶のポリマ同士を組み合わせると,両者は交じり合わず,ある分散構造をとる。この異質材料の界面や構造の形態(モルフォロジー)を工夫すると,元の材料以上の性能が得られることがある。

 ナノテクノロジーが進展することにより,こうしたポリマの高次構造の制御が容易になり,新素材が登場する機運が高まってきたのだろうか? 「ナノテク前」と「ナノテク後」で何が変わったのだろうか? そして,ナノテクはプラスチックを救うのだろうか? などと考えながら,小走りで海浜幕張駅に向かった。

【図2】射出成形後のテストピースを垂直断面でカットしたもの。アルミと樹脂の境界面に微小の凹凸がある
【図2】射出成形後のテストピースを垂直断面でカットしたもの。アルミと樹脂の境界面に微小の凹凸がある
[画像のクリックで拡大表示]