図1 ソニー 情報技術研究所 通信研究部 統括部長の小高健太郎氏(左)と,通信研究部 R&D推進室 通信システム担当部長・室長の岩崎潤氏(右)
図1 ソニー 情報技術研究所 通信研究部 統括部長の小高健太郎氏(左)と,通信研究部 R&D推進室 通信システム担当部長・室長の岩崎潤氏(右)
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 久々に,ソニーらしい技術が現れた――。

 2008 International CESでソニーが出展した近距離無線技術「TransferJet」のデモを見たときの,記者の率直な印象である。

 TransferJetは超広帯域無線(UWB)の一種で,通信距離は最大3cmと短いながら,実効データ伝送速度で375Mビット/秒という超高速伝送を実現できる(Tech-On!関連記事)。

 記者が「ソニーらしい」との印象を持った理由は,既存の業界標準技術にこだわらず,ユーザーの使い勝手をとことん追求した技術であることだ。

 UWB無線を用いる技術には「Wireless USB」があり,ソニーも同規格の策定に参加している。だがソニーはあえて,独自技術の開発を手がけた。いちいちパスワードを要求するような無線技術を,パソコンに触ったこともないユーザーに使ってもらえるのか。こんな不満が出発点だったという。

 メーカーが独自開発したインタフェースやフォーマットは,ややもすれば囲い込みの道具となり,結果としてユーザーの不利益になる危険をはらむ。だが,その独自技術が真にユーザーの生活様式を変える力があるなら,その技術は不毛なデファクト標準競争に陥ることなく,じわりじわりと普及するだろう。やはりソニーが開発した「FeliCa」と同じように(NEブログ関連記事)。

 TransferJetはどのような経緯で開発されたのか。技術の開発に関わったソニー 情報技術研究所の小高健太郎氏と岩崎潤氏に話を聞いた。

(聞き手=浅川 直輝)

――TransferJetの開発を手掛けたきっかけを教えてください。

小高氏 開発を始めたのは2005年後半です。きっかけは,これまで手掛けてきたUWB(ultra wideband)の開発方針を見直したことです。

 ソニー社内では,1990年代末ごろ,比較的早い時期からUWBの開発に取り組んでいました。今でもWiMedia Allianceと連携して開発は進めており,優れた技術に仕上がっています。

 ただ,現行のUWBを開発する中で,なんとなく「重苦しいなあ」と感じることがありました。例えば,各国ごとに電波の出力規制が異なっていたり,他の機器との干渉に弱かったり,機器認証が面倒だったり,といった具合です。

 UWB無線の本質は,いわば「1チャネルのブロードキャスト」なんです*1。狭い部屋で複数のUWB無線が一斉に電波を出せば,干渉して通信ができなくなる。このため,電波の出射タイミングを調整するなど,難しい処理を強いられます。

*1 UWBはその特性上,500MHz~1GHzという幅広い領域を,事実上一つのチャネルとして占有する。もし将来,この周波数帯を常時占有する別のUWB無線技術が現れると,既存のUWB機器は別のチャネルに退避して干渉を避けることができず,使用不能になる恐れがある。

岩崎氏 私はこれまで,無線技術の使い勝手の悪さがずっと気になっていました。例えば社内の打ち合わせなどで,ある人のノート・パソコンに格納されたファイルを,別の人のパソコンに転送することになったとします。最近のノート・パソコンには無線LANやBluetoothがついているのに,ファイルをやりとりには皆,USBメモリーかメモリ・カードを使うんですよね。

 もしBluetoothでファイルを転送する場合には,まず周囲にあるBluetooth機器を探索し,複数あるBluetooth機器の中からお目当ての機器を選択して,PINコードを打って・・・と非常に手間がかかります。これでは,ファイル転送に無線を使わないのも道理です。

 最近,街中を歩いていると,電子機器とは無縁そうなおじいちゃん,おばあちゃんでも,カメラ付き携帯電話機で楽しそうに写真を撮る姿を見かけます。ただ,恐らく写真を撮るだけにとどまって,写真データをパソコンに移したり,プリンターで印刷したり,といった段階まで使いこなせる人はわずかだと思うんです。

 今回,UWB無線の通信距離を短くすることで,こうした既存の無線技の欠点が一気に解決できたと考えています。

――TransferJet無線技術の特徴,とくに通信距離を短くすることの利点について教えてください。

小高氏 一つは,干渉の問題を考えずに済むことです。TransferJetの伝送媒体は電波ではなく,4.5GHz帯の誘導電界を使います。送信側のカプラと受信側のカプラとの間で,垂直方向に電界が振動しているイメージですね。この誘導電界は,4.5GHz帯の波長と同程度,すなわち数cmほど離れると強度が急減します。このため,TransferJetの送受信機が発する電磁場が,他の無線機器と干渉することはありません。逆も然りで,数cm以内まで近接させない限り,他のUWB無線機器から干渉を受けることはありません。

 このため,TransferJetのベースバンド処理回路では,干渉の回避を目的とする信号処理は行っていません。送受信環境に応じてデータ伝送速度を調整するフォールバック機能があるくらいです。

岩崎氏 もう一つの利点は,パスワードの入力といった機器認証が不要であることです。機器を「置く」ことで接続でき,「離す」ことで接続を解除できる。パソコンを使ったことがない人にも非常に分かりやすい。SuicaやPASMOに慣れ親しんだ人なら,全く違和感がなく使えると思います。

 機器を「置いて」接続する方式には,クレードルやドッキング・ステーションがありますが,コネクタを介するので結構トラブルが多いんです。無線方式なら,問題なく接続できます。

――TransferJetの無線方式の詳細や,消費電力について教えてください。

岩崎氏 詳細はまだ言えませんが,通信方式は直接拡散方式(DSSS)を素直に適用したものです。干渉回避のための信号処理が不要なため,とてもシンプルな回路に仕上がりました。消費電力の具体的な値は言えませんが,少なくともビット当たりの消費電力では無線LANやBluetoothよりはるかに低いはずです。電界が3cmしか飛んでいませんから,当然ですが・・・。

――今後,TransferJetをどのように普及させる戦略を立てていますか。

小高氏 TransferJetの普及策について井原さん(ソニー 代表執行役副社長 テレビ・ビデオ事業本部長の井原勝美氏)と議論した結果,「他の企業にもオープンに使っていただこう」という結論に達しました。一定の条件のもとで,TransferJetの技術を幅広く公開したいと考えています。ソニーの製品だけに囲い込む考えはありません。実用化は2009年度中を目指しています。

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