彼らだけのことではありません。実は,中国で一般の作業員として働く人たちの中には,会社に応募する前に大ざっぱな業種までしか確かめない人が多いのです。せいぜい,その会社が農業に属するのか,漁業か,製造業か,建設業なのかというところまで。それより先は考えず,その会社がどのようなビジネスを行い,その中で自分がどのような作業に就くかについては,ほとんど関心がないのです。自分が望む職種を選べるほど求人状況は良くないという現実もあって,「まあ,日系企業は待遇が良いと聞くし,とにかく入社して,その後のことは後で考えればいいや」といった安易な気持ちで就職に望む中国人は少なくありません。

 こうした状況ですから,日系企業の中国現地工場は,あらかじめ定着率の低い要素を持った人たちを採用しているということになります。その上,入社した後は次第に,作業員の多くが独立して自ら商売を始めるという気持ちを持つようになるのです。

 最近,私はかつて部下だった中国人のある女性作業員と話す機会がありました。その時,彼女はこんな話題を切り出したのです。

「遠藤さん,陳英(仮名)さんを覚えていますか?」
「ええ。私が製造部長だったときに『田舎に帰ります』と言って退職した班長だった女性ですね」
「そうです。彼女が今,何をしているか知っていますか?」
「いや,あれっきり音信不通ですから」
 私がこう答えると,彼女の目はとても輝きました。

「実は,彼女は友人と2人で美容院を始めたそうなんです。そうしたら,ものすごく人気が出て,今では4店舗のオーナーなんですよ。しかも,ものすごく儲かって,1カ月当たりざっと7万元(約100万円)も利益を出しているんですって!」

一世を風靡した“カリスマ美容師”も驚く億万長者?


 1000元にも満たない彼女たちの給料からすると,7万元の月収というのは未知の大金。その大金を,ほんの数年前まで一緒に仕事をしていた同年代の女性が手にしていると聞けば,「自分も独立して商売して成功したい」という強い思いに駆られても不思議はありません。
  
 工場に勤務する場合,一般の作業員でいる限り,1カ月当たりの賃金は数百元(4000円くらい)から多くても千数百元(2万円以下)止まり。それに対し,自分で商売を始めた人は,その商売がうまくいけば,1カ月当たり数千元(4万円くらい)から数万元(40万円くらい)を稼ぐようになります。中国人は,日本人とは違って控えめに言う人は少なく,なぜか話を誇張する傾向があります。特に,こうした「儲け話」には尾ひれがつきやすく,どんどん話が大きくなっていってしまうのです。

 実際,この話もどこまで信憑性があるのか,非常に疑わしいと私は感じました。中国における美容院の客単価は知れています。当然,お客さんが多く入りそうな立地条件の良い場所は,店舗の賃貸料などが高く,固定費などが相当高くつくはずです。そうした中,ひと月に7万元もの純利益を上げることは,かなり難しいと考えざるを得ません。

 しかし,こうした夢のような話が,中国現地工場にはいくらでも入ってくるのです。真偽はともあれ,そうした魅惑的な話がごろごろしている中,低賃金でコツコツと長期間働くことに我慢できない中国人の作業員が出てくるのは,そう不思議なことではありません。なにしろ,元々仕事に対する興味を持っていない人が多いのです。むしろ,「おいしい話」が目の前にあれば,すぐにでも飛び付きたいと思うのが,人情というものではないでしょうか。

 このように,工場で働く日本人の作業員と中国人の作業員は,入社を希望する時点から違っています。日本人の作業員は,ある程度どのような仕事をするか調べて納得ずくで入社します。しかし,中国人の作業員の多くは,ほとんど行き当たりばったりで入社を希望しています。

 生活水準でも,それほど著しい差が見られない日本とは対照的に,中国では貧富の格差が激しく,常に「金儲けの甘い話」が転がっているため,「まじめで工場で働くなんて,ばかばかしい」と思っている人たちは,決して少数派ではありません。実際には会社を辞めないでも,自分の会社より高い給料をもらえる会社の情報は,外部から中国現地工場の中にどんどん流入してきます。

 そうした環境にいる中国人の作業員を,日本人の物差しで測って「定着率が低い」とか「恩をあだで返す」などと言ってみても,中国人からすれば,全く見当違いなことなのです。(次回に続く

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