先週のTech-On!特集 |
ジェームズ・ダイソン氏の名前を筆者が知ったのは、2004年6月のことであった。ある製造業の経営トップを取材したとき、取材後の雑談でこんなやりとりをした。
「見事なイノベーションの事例ってないでしょうか」
「うーん、テレビで見ただけだけれど、あの、イギリスの掃除機は凄いと思った。技術が斬新だし、デザインも強烈。そもそも掃除機という分野であれだけ画期的なものが、しかもイギリスから出てきたのが興味深い」
「へえー、掃除機ねえ」とつぶやきつつ、事務所に戻った。弊社事務所の一階は書店のようになっていて、弊社の刊行物を販売している。何とはなしに、そこをながめると、さっき話をしたばかりの、イギリス製掃除機に関する単行本が置かれていた。ダイソン氏の自伝『逆風野郎!』(原題は『against the odds』)を弊社が出版したところだったのである。これもなにかの縁と考え、社員割引を利用し、この本を買った。
席に戻り序章を読んだだけで、間違いなく面白い本であると確信した。なにしろ序章の題名が「金儲けのノウハウを教えるつもりはない」なのである。そしてダイソン氏は次のように宣言する。以前、別のWebサイトで紹介した箇所だが、再度引用する。
この本は、米国のシリコンバレー企業よろしく、急成長して巨万の富をつかむためのお手軽なノウハウ本じゃない。ビジネス書でもない。むしろ、いまあるビジネスに背を向ける本で、世界を役立たずの醜悪な代物や不幸せな人々であふれさせ、国を経済至上主義にしたクズ思想に反旗を掲げる本なんだ。
彼が言うクズ思想とは、「ただちに収益や売上高、あぶく銭を要求する短期収益指向」を指す。「旧製品の売り上げ拡大に走り、結局は世界に冠たる広告産業と手を結び、あとはすべてをダメにしてしまう」考え方のことである。こうしたクズ思想は、発明家、クリエーター、エンジニア、デザイナーを軽く見る、とダイソン氏は怒る。「本当に強い産業国家は発明をしてきた国だ」「デザインや研究開発、エンジニアリングはそんなもの(本誌注・短期収益指向のこと)じゃない。それらは企業を長期的に刷新する、あるいは築き上げる方法を提供するんだ」。
クズ思想に対抗するには、エンジニアの頑張りが必要になるが、現状はどうか。ダイソン氏はこう述べる。
英国のエンジニアは世界一報酬が低く、企業内で最も冷遇されている。口先がうまく要領のいい連中が企業の主導権を握る一方、エンジニアはその陰にかすんでしまっている。日本のホンダやソニーのように、本当はエンジニアこそ企業経営の中心にいなきゃならないのに。英国のエンジニアは人が良く、押しが弱く、野心も少ない。ひたすら知識を吸収するだけで、小悪党にコロッとやられてしまう。
これははたして英国だけの問題なのかという気がするが、それはさておき、ダイソン氏はこの問題の解決策を明示する。「(エンジニア)自身が交渉者、マーケター、会計士、営業マンにならなきゃダメ」というものだ。そして、これこそが彼が実践してきたことである。
「ダイソンする」という言葉があるそうだ。意味は「掃除機をかける」である。ダイソン氏は書いている。
イラスト◎仲森智博 |
本コラムの題名を「ダイソンしてますか?」としたが、掃除機をかけているかどうかなど、Tech-On!の読者に聞くべき質問ではない。「ダイソンする」にはもう一つの意味があり、題名はそこからとった。再び、著書から引用する。
『デザイン』誌の編集者カール・ガードナーは、「ダイソンする」という言葉が、「自分の発明をデザイン+設計+製造+売り出す」という意味で使われているのを聞いたことがあると僕にいった(後略)
つまり「ダイソンする」とは、エンジニアが製品コンセプトの発案から、必要な技術の発明、製品のデザイン、ものづくり、マーケティング、営業まで、すべてを自分でやり通すことを指す。ダイソン氏は会社名と製品名に自分の名前を付けた理由として、「自ら作った製品を自らの責任で顧客に売るということ(中略)を会社と製品の名にかけてはっきりさせた」と言い切っている。
ダイソン氏の自伝は、デザイナー兼エンジニアが「ダイソンする」ための苦労話が山のように掲載されている。この本はかなり大部だが、関心を持った方はぜひ読んで頂きたい。ダイソン氏によると「僕の話は、自分の夢が分からず屋の圧力で消えていくのを感じたことがあるすべての人に希望を与えるはずだ」からだ。
2004年の秋、筆者はダイソン氏をインタビューする機会に恵まれた。本の印象から、相当変な英国人であろうと思って会いに行ったが、本人は物静かな紳士であった。印象に残っているのは、彼が何度も「売るために奇抜なデザインにしたわけではない」と繰り返し強調したことだ。「まず機能が大事。高性能の掃除機を追求していったら、あのデザインになった」。確かに、そのことは本にも書いてあった。次の一節は筆者がたいへん好きなところである。
僕は取材に来たジャーナリストからこう言われたことがある。
「ゴミが集まるところを透明にして、外にある廃棄物をことごとく見せつけるというのは、既成のデザインとは逆の発想ですね。これは、リチャード・ロジャーズが、建物のまさに心臓部である空調機器とエスカレーターをむき出しにしたポンピドウー・センターの設計で先駆けた、ポストモダニズムの建築スタイルに賛同するものなんでしょうか?」
「いいえ、ゴミが一杯になったらわかるようにしただけです」
なぜか分からないが、非常に痛快である。いや、本当はなぜ痛快か分かっている。筆者がジャーナリストだからである。さて、ダイソン氏に会ったとき、どうしても聞きたいことがあった。彼の本の中に出てくる「創造力に対する嫉妬」についてである。
会計士や重役、経理屋は創造的な人間をしばしば妬む。自分で何かを創ることがないからだ。そして、いつだってすぐ創造的な人間の足を引っ張り、何にでも批判的、否定的になり、自らの重要性をことさら強調したいがために、創造的な人間はビジネスを知らないとか言いたがるんだ。
これはちょっと前に本欄「何が技術者を殺すのか」で紹介した、製造業を想起させる。嫉妬にかけては、日本は英国以上かもしれない。本と同様の勢いで「嫉妬する人々」を一刀両断してくれることを期待したが、ダイソン氏は穏やかに微笑んで、「それはヒューマンネイチャーだから」と言った。確かに、嫉妬は人間の特質であり、「あの事務屋は嫉妬深くて」と愚痴っていても仕方がない。それよりは「ダイソンしようじゃないか」。これが、彼の言いたいことであったと解釈している。
やたらと引用の多いコラムになったが、引用ついでに、ダイソン氏の本の最終ページに書かれている文章を紹介して終わりとする。
僕は日本の若手デザイナー、エンジニア、起業家にも欧米でのようにダイソンを発奮材料にしてほしい。不況に直面した大手企業が初めてリストラに踏み切り、若い世代の起業家が新たに育っている日本では、ちょっとした創造力と勤勉な努力、決して「できない」と言わずに既存のシステムを打ち破る覚悟によって、巨大企業を同じ土俵で打ち負かしたダイソンの例が参考になるはずだ。
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