Webサイトで公開するコラムを書く場合、筆者は極力、何らかの実験をするように心掛けている。本欄では、ある一日に聞いた話をそのまま公開した例がある。また他のサイトにおいては、読者との議論を基にコラムを書き上げた例原稿の執筆時間を計測し、それをそのまま原稿に書いた例もあった。今回は、同一テーマのコラムを3本ほぼ同時に書き、三つのサイトで公開することを試みたい。三つのサイトとは、このTech-On!、それからIT関連プロフェッショナル向けサイトのIT Pro、そして日経ビジネスEXPRESSである。

 取り上げるテーマとして「何が技術者を殺すのか」を選んだ。やや極端な物言いだが、技術者のやる気を失わせる諸問題について考えようということである。本欄ではエレクトロニクス・メカニカルの技術者に向けて書き、IT ProではIT関連技術者に向けて、日経ビジネスEXPRESSでは経営者やビジネスパーソン一般に向けて、それぞれ書いてみる。

 このテーマは、筆者が編集に関わっている技術経営戦略誌「日経ビズテック」が、その第8号の特集記事で取り上げたものだ。この特集には総勢22人の寄稿者と発言者が登場した。すべての記事を合わせると75ページもの分量になる。日経ビズテックにおいては、特集の題名を「技術者問題を考える」とした。もとの題名は「何が技術者を殺すのか」であったが、印刷直前に変更したのである。ただし英語の題名は「What's Killing Engineers?」とそのままにした。

 一連のコラムは8月4日に書いた。まずIT Pro向けのコラムを4日の午前中に書き上げ、IT Proの井上編集長に電子メールで送付した。IT Proの締切が前日3日であったためだ。次に昼食をとった後、本欄向け執筆に取りかかった。これは、Tech-On!の敏腕編集者、赤坂さんから催促メールが来たからである。催促といっても「今日は谷島さんがお蕎麦を打ってくださるのでしょうか」という丁重な文面であった。なぜ蕎麦が出てくるかというと、筆者が赤坂さんに「あと30分したら出前に行きます(原稿を送ります)」という文面のメールをよく送っていたからである。

技術者を悩ませる文系支配

 さて、「技術者問題を考える」と銘打った特集の巻頭に掲載した論文を紹介したい。筆者は舛岡富士雄東北大学教授、題名は「特許を取り開発で勝って事業に負ける理由」である。Tech-On!の読者の方々は、舛岡氏の名前と題名でどんな内容の論文か、想像がつくかもしれない。

 この論文によると、舛岡氏は東芝に在籍していたとき、フラッシュメモリーを発明した。しかしDRAMにすべての資源を投入していた東芝はなかなか事業化しなかった。フラッシュメモリーの事業化を主張した舛岡氏に対し、上司は「勝手なことをするな」「決められたテーマをやっておればよい」と叱責した上、舛岡氏に対し左遷同様の人事を発令したという。

 筆者は、半導体の世界には明るくない。今回の論文は筆者以外の編集者が担当したため、舛岡氏に会ったわけでもない。おそらく東芝には東芝なりの言い分があるだろう。しかし、この論文で舛岡氏が主張している「会社の方針と違う新しいことをやり始めると徹底的に潰される」という話は、しばしば聞くことであり、普遍的な問題と言えると思う。

 舛岡氏の論文を読んで思い出したのは、ある大手素材メーカーのことである。このメーカーの社長には、必ず文系の大学を出た幹部が就任する。実は大学名と学部(法学部)まで特定されているのだが、大学名は伏せておく。このメーカーで長らく技術部門にいた方と話をする機会があったが、彼の説明はにわかには信じがたいものであった。

イラスト◎仲森智博
 「あのメーカーは、いつも技術では二番手です。新しいことはしません。その理由は簡単で、法律家が支配しており、技術者はみんな死んでいるからです。我々技術者は法律家のことをKGBとかCIAと呼んでいました。若い技術者は入社したては元気ですが、ある程度のポジションに就くと会社の仕組みが分かってくるので、みんな消えていきます。消えるというのは二通りありまして、一つは死んだ振りです。間違っても、めざましい成果なんかあげてはなりません。必ず法律家の攻撃にあって、どこに飛ばされてしまいます。死んだ振りができない技術者は辞めますね」。

 社内で足の引っ張り合いをする話はよく聞くが、このメーカーの実態は群を抜いている。そんなことで会社が持つのだろうか。それでも持つのが日本である。正確に言えばこれまでの日本ではそれで通った。

 この話を筆者にしてくれたメーカーOBが声高に古巣をののしっていたら、筆者はこの話を信用しなかった。しかし彼は実に淡々と、時には感心したように話した。彼が新規事業をやりたいと上司の法律家に提案した際の逸話が秀逸であったので紹介したい。彼の上司は経営会議から帰ってきてこう言った。

 「役員40人が全員反対していた。それでもやりたいか」。
 「やりたいです」。
 「分かった。俺に任せろ。ただし1年待て。40人説得するにはそのくらいかかる」。

 この上司は本当に1年かけて、全役員の賛成を取り付けてきた。もちろん理屈で説得したわけではない。元技術者の部下にとっては、上司がどうやって説得してきたのかまったく分からなかったという。「おそらく、出張とかゴルフとか宴席とか、そういった社外の場所で根回ししたんだと思います。権謀術策もあそこまで行けば見事です。嫌みではなく、本当に感服しました。僕には絶対できませんね」。ちなみに40人を説得した上司は見事、社長になった。

 上司が社長になったから、この技術者が恵まれたかというとそうではない。社長の周りを法律家集団が固めており、社長と直接やり取りすることはできなくなった。それでも、ときおり社長が元部下のこの技術者のところにふらっと顔を出すことがあった。しかし社長が帰った数分後、別の役員から必ず電話がかかってきて「社長と何を話したのか」と尋ねられたという。

 舛岡氏も寄稿の中で、「日本企業ではトップを取り巻く『お側用人』が情報を一手に集め、自分たちにとって都合の悪い情報は握りつぶしてしまう」と指摘している。

 先の素材メーカーについては後日談がある。このメーカーの技術者は現在とても元気になった。理由は簡単、同業のメーカーと合併したからである。合併相手のメーカーは昔から、技術者が社長になる決まりであった。現在の社長も技術者出身であり、合併によって法律家の役員の絶対数が減ったため、法律家集団はだいぶ静かになったそうだ。

 もちろん文系の社長が皆ダメで、理系の社長ならよいという話ではない。ただ、経営トップ次第で会社は大きく変わる。技術者を生かすも殺すも社長次第である。

 冒頭に述べたように、このテーマで別途2本のコラムを用意する。ITProでは8月5日に、日経ビジネスEXPRESSでは8月10日に、それぞれ公開される予定である。お時間のある読者は、この二つのサイトを覗いてみて頂きたい。筆者のコラムはさておき、普段あまりご覧にならないサイトを眺めてみると、思わぬヒントが得られるかもしれない(ただし日経ビジネスEXPRESSは、日経ビジネス読者限定となっています)。

■お詫び
当記事を公開当初,舛岡富士雄東北大学教授のお名前を「桝岡」と誤記しておりました。お詫びして訂正します。

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