先日書いたコラム「半導体技術者にとっての「ものづくり」の喜びとは何か---元技術者N君との対話」の中で,日本人技術者は後工程のことを考えて特に求められなくても余分のマージン「見えないマージン」をとっていた,というN君の体験談を紹介した。それに対して,Tech-On!Annexの会員の方々が,いくつかノート(コメント)を書いてくださった。

 中でもTech-On!Annexでノート執筆の常連として精力的に活動いただいている円山貫氏には,示唆に富むご意見をたくさん頂戴した。筆者のコラム記事に対してつけてくださったノート「『見えないマージン』と『能書き』の対称が印象的ですね。そして『ビジョン』」,さらにそのノートに対する筆者のコメント,そのコメントに対する円山氏のご意見…というやりとりの中で,非常に有意義な議論をさせていただいている。そこで筆者も円山氏に触発され,「見えないマージン」についてもう少し考えてみることにした。

 まず議論の発端となった,N君の発言をもう一度紹介しておこう。「見えないマージン」という言葉は,筆者がN君に日本人技術者と米国人技術者の考え方の違いを聞いたくだりで出てきたものである。N君によると,日本人技術者は芸術的なレベルでパターンをきれいにするが,米国人技術者は技術的に意味のあることしかしないと言う。さらにその理由を問うと,以下のように語った。

「日本人は後工程のことを考えて『見えないマージン』を気にしていたということではないかと思います。(中略)これは誰に要求されたものでもなかったのですが,後工程のマージンを考えて自主的にやっていました。それだけ,後工程の技術者は楽になるし,総合的な歩留まりも上がることにつながります」

レジストパターンのバラツキを余裕をもって抑え込む

 「見えないマージン」とはどのようなものか,さらに突っ込んでN君に聞いてみた。N君の当時の仕事では例えば,レジストパターンのバラツキの仕様として提示された0.8μm±0.08μmに対して,実際には0.8μm±0.05μmのバラツキにして,±0.03μm分の余裕を持たせて,後工程に渡すことである。

 この±0.03μmのマージン差は,特に数値として他工程の技術者やデバイスの仕様として約束するものではなく,当該工程処理のあくまで「結果として」出てくるだけである。当然,仕様書や作業指示書のどこを見ても,その数値は書かれていない。だから,「見えない」のである。

 その後工程の技術者は明示された仕様を実現するだけなら,前工程の加工精度が高まった分,楽になるのだが,実際には楽をしようと思うどころか,競うようにさらに自分なりの「見えないマージン」を追加して,次の工程に渡すのである。

 N君によると,この「見えないマージン」は,技術者よりもむしろ現場のオペレータが主体となって作っていたという。現場のオペレータは「A班」や「B班」などチームを組んでおり,各チームが体育会系のノリで,競い合って改善活動を展開しており,争うように「見えないマージン」を作り出していた。

 こうして,各工程の担当者が「見えないマージン」を追求することで,仕様より高い精度が掛け合わさって結果的に全体の歩留まりが上がることになる。つまり,各工程でひねり出したマージン差が無駄(=過剰)にならず,すべてが有効に累積されて,高い歩留まり,低い不良率,高い品質をもたらしたのである。

米国人にも当然「見えなかった」

 1970年代から80年代にかけてこうした日本半導体メーカーの「見えないマージン」は現場の改善活動の一つの重要な要素であったようだ。改善活動を中核とする日本独特の品質管理手法を確立するにいたり,日本半導体メーカーは競争力の面で米国メーカーを抜き去ったのである。

 なぜ日本メーカーの半導体は不良品が少ないのか,当時の米国メーカーは理解できなかった。米国流の品質管理は,検査によって不良品を選別してふるい落とす手法だったからだ(このあたりのことに触れた以前のコラム)。

 米国人は当時,不良品を極端に減らすには厳密な検査が必要であり生産コストが高くなっているはずだと考えており,日本製品は不良品が少ないにもかかわらず安価であるのは,ダンピングしているからだと判断した。こうして米国人は日本メーカーをフェアではないと強く非難し,半導体摩擦が燃え上がったのである。

 米国人が理解できなかったのも無理はない。前述したように日本人技術者の改善活動の重要な側面の一つである「マージン」が当事者にすら「見えない」ものだったからである。外部からは見えるはずがない。

 ここで,「見えないマージン」によって高いパフォーマンスをもたらす組織面でのメカニズムについてもう少し突っ込んで考えてみたい。

「能書き」と「見えないマージン」が隙間なくフィット