先週,日経エレクトロニクス誌のM編集長が司会を務めて,日本を代表するボード・メーカーの社長の方々5人が対談するという企画があったので,筆者も傍聴させていただいた。ここで言うボードとはプリント基板のことで,今回の議論の対象は,主に産業機器に組み込むカスタム品である。ボード業界の最近の状況や取り巻く環境がよく分かって,有意義なひとときであった。

 特に印象的だったのは,「ボード・ビジネスはサービス業化している」という発言が相次いだことだ。台湾など海外のボード・メーカーが台頭する中で,顧客のニーズにきめ細かく応えてサポートすることが日本のボード・メーカーに求められていることであり,強みでもあるという。

 ある社長は最近の傾向を「箱ベースのビジネス」と表現していた。つまり,ボード単体の設計・製造を受注するのではなく,ある機能の実現を丸ごと受注するのである。自動車業界などで知られる「モジュール化」や「システム化」とほぼ同様のことががこの分野でも進展しているようである。この対談の内容はいずれ,『日経ボード情報』で紹介される予定なので,本稿ではこの対談の最後に,ある社長が語った言葉に注目してみたい。

ボードビジネスの醍醐味とは?

 その言葉とは,この対談の締めとしてM編集長が「ボード・ビジネスの醍醐味とは何か?」と質問したのに対して,ある社長が「『もの』をつくる喜びである」と答えたものである。

 そのやり取りを聞いていて,その社長がいう「もの」とは何だろうか,と疑問に思った。筆者はこの分野に不案内だったこともあり,ボード業界でいう「もの」として,単にあの緑色のプリント基板を思い浮かべてよいのか,分からなかったのだ。そこで,傍聴の立場をかなぐり捨てて,思わずボード業界における「つくる喜び」の対象とはどのようなものなのか聞いてみた。

 するとその社長は,概ね以下のようなことを語ってくれた。

 まず,顧客のニーズは多様であり,ボードといっても種々様々である。その結果,技術者に与えられる仕事は毎回新鮮なものになる。自ら新規に電子回路設計を行い,CADで図面を引き,アートワーク(プリント配線板を製造する際の配線パターン)を作製する。そして,出来上がった配線板に部品を実装し,火を入れて(通電して),実際に完成品として動いている様を見る。これに喜びを感じる――。

完成品を自ら仕上げる感動

 特に,新人として入社し,先輩の指導の下,知識とノウハウを蓄えていって,何年かたってやっと一人立ちして自らの主導で初めて完成品を仕上げたときには,誰でも感動するものだという。そうしてひとたび喜びを感じた技術者は,その会社に定着してベテラン技術者に育っていく。「ものをつくることに喜びを感じる若者がいる限り,この業界は発展し続けると信じている」とその社長は言う。

 その社長の会社にはソフトウエアのエンジニアもいる。ハードウエアに比べると,ソフトウエアは現実の「もの」としては見えにくいものの,出来上がったソフトウエアが最終的な「完成品」として動く様を見て喜びを感じるという意味ではまったく同じだと語ってくれた。

「ソフトウエアも『もの』である」

 日経ものづくり誌のK編集長が書いた「ソフトウエアは『もの』ですか?」という雑誌ブログ記事や,それを基に展開されている「Tech-On! Annex」における議論を見ても明らかな通り,ソフトウエア業界の方の多くは,ソフトウエアを「もの」として見ている。

 このTech-On! Annexに書き込まれたノートとそれに対するコメントでは,様々な意見が出ていて大変興味深いのだが,読者の方々のやり取りを読んでいて「もの」とは工業製品としての完成品およびその構成要素である,と定義するのがピッタリするようである。ソフトウエアは工業製品としての完成品の重要な構成要素であり,しかも完成品全体の価値の中でソフトウエアが占める割合はどんどん大きくなっている。それに伴い,ソフトウエアは完成品の一部として製品の信頼性や耐久性などについても責任を持つなど,役割が重くなってきている。

完成品の中での位置付けが見えること

 こう見てくると,「ものをつくる喜び」とは,自らの仕事が最終形としての完成品にどのような影響を与えるかが「見える」(実感できる)ことではないかと思う。これは,完成品ができるまでの全体の中で自らの仕事の位置付けが分かる,と言い換えてもよいだろう。

 そういえば先日,半導体のプロセス技術者の方とお話していて,その方が「自分の担当する分野があまりに専門化・細分化してきていて,全体の中でどのような位置付けにあるかが見えにくくなってきている」と言っていたのを思い出す。

 工業製品としての完成品をイメージするのではなく,例えばいかに細い溝を切るとか,微細で形の良いパターンを切るとかだけが目的となる。それはそれでやりがいはあるに違いないが,「ものをつくる喜び」という意味では違うのかな,という気がする。逆に言うと,全体の中で自らの仕事の位置付けをはっきりさせることが半導体産業にとって重要なことなのかもしれない。

 さて,次に考えていきたいのが,日本人は歴史的に「ものづくりのDNA」を持っているという指摘があり(本コラムの以前の記事),ものをつくることに対して喜びを感じる伝統を持っているのか,という点である。だとすれば,こうしたものづくりのDNAを製造業の競争力に活かすという視点があっても良いことになる。

「ものづくり」の起源を考える