(前回はこちら)コンサルタント、経済アナリストに続き、今回は、経済学者にダメを出す。学者にダメ出しするのは私にとっても勇気が要ることなのだけれど、それをするのが、より良い社会を欲する「世の中の出る杭」というものだろう。

経済学者は、経済の専門家ではない

 何度でも繰り返すが、世の中のビジネスから偶有性(個別の事物にたまたま当てはまる属性)を全て捨象(捨てる)すると、顧客に価値を提供して対価を得ることだけが残る。よって、ビジネスの本質とは「顧客に価値を提供して対価を得ること」であるが、古代ギリシャの頃から研究されてきたにも関わらず、その要素である「価値」の本質は、解明されていない。だから、人類は、ビジネスを分かっていないことになる。

 また、世の中の企業から偶有性を全て捨象すると、「ビジネスマンという人間の集まり」だけが残る。ゆえに、企業の本質とは「ビジネスマンという人間の集まり」であり、ビジネスを分かっていなければ、ビジネスマンを分かっていることにはならず、「ビジネスマンという人間の集まり」を分かっていることにはならない。だから、人類は、企業も分かっていないことになる。

 そして、ビジネスとそれを行う企業は、経済の要であるから、ビジネスも企業も分かっていないことは、経済を分かっていないことと言っていい。だから、人類は、経済も分かっていないことになる。

 いや、もっと単純に考えよう。そもそも、価値の本質が解明されていないのであれば、経済の本質は価値抜きでは語れないだろうから、それだけで経済の本質は解明されていないと言える。だから、人類は、経済を分かっていない。

 ならば、たとえ経済学者といえども、経済を分かっていないことになる。よって、経済学者が研究対象とする事物は、「経済的ではないもの」の意味で「不経済」であるかもしれず、ゆえに経済学者は「不経済学者」であるかもしれない。少なくとも、経済を分かっていない者を経済の専門家とすることはできないから、経済学者は、経済の専門家ではない、と言えてしまうのだ。