ところが筆者は,章男氏に対してある不安を感じていた。2000年に取締役に就任したときに「豊田家に生まれてしまいました」と語り2),2009年1月の次期社長内定時に「豊田の姓に生まれたことについて,選択権は自分自身になかった」と語り,そして2009年の社長就任時にも同じ言葉を口にした。これらは「心ここにあらず」を示している言葉だ。10年経っても精神構造が変わっていないのは由々しき問題だと思っていた。最近は,「(トヨタは)全能の存在ではない」「救世主は私ではない」といった否定形表現の発言が多いことも,筆者の不安を一層かき立てた。マスコミに対して前面に出て自ら説明責任を果たすことが遅れた要因ではないか。

■参考文献
2)朝日新聞,「トヨタウェイ:11佐吉の挑戦,源流に 『創業家の重み』期待も」,2005年10月14日付夕刊1面.

 しかし,そうした筆者の不安は,先日払拭(ふっしょく)された。章男氏は,2010年2月24日の米公聴会で,「私は創業者の孫です」「全てのトヨタ車には私の名前が入っています。車が傷付くことは私自身の体が傷付くことに等しい」と語った。テレビで視聴した読者も多いだろう。これはスタッフの作文ではなく,章男氏自身の言葉だとしか考えられない。その静かな語り口ながら「決して逃げない」という決意が伝わる口調や表情から,「会社に骨を埋める」覚悟を決めたことが分かった*2。危機に瀕して,目が覚めたようだ。佐吉や喜一郎(前回同様,両氏に関しては敬称略とする)の創業理念が詰まった豊田綱領に立ち返り,経営の立て直しを図る決意が読み取れた。

*2 「会社に骨を埋める」とは,正確には,豊田家先祖とトヨタグループ社員と社会的公器のトヨタのために骨を埋めるという意味である。

 さらに,章男氏はこの公聴会で,「人や組織が成長するスピードを超えた成長を追い求めてしまった」「安全が第1,品質が第2,量が第3というトヨタの伝統的な優先順位が崩れた結果,リコールを招く安全上の問題につながった」と語った。コリンズ氏は前出のHow the Mighty Fallにおいて,米Hewlett-Packard社の共同創業者の1人であるデビッド・パッカード氏が発見した「パッカードの法則」も紹介している。「売り上げの成長が人材の成長を上回り続けている企業は成功しない」という法則だ。章男氏はこの部分も読んでいたはずだ。トヨタ自動車は2007年に過去最高の販売台数となる937万台を記録したが,10年前の1997年は484万台であった。「果たしてトヨタは,この10年間で人材の成長を2倍にできたのか?」と考えたとき,業務の急拡大のひずみが社員の対応能力を超えて品質に逃げたことに気付いたのだろう。

 コリンズ氏は,空前のベストセラーとなった『Good to Great』(HarperCollins,2001年)の中でこう書いた*3。「偉大な企業を永続する卓越した企業に転換させるには,基本的価値観と利益を超えた目標(基本理念)を見つけ出し,『基本理念を維持し,進歩を促す』仕組みを組み合わせることだ」。韓国のSamsungグループ創業者である李秉?(イ・ビョンチョル)氏は「お金があってもやってはいけないことがあるし,お金がなくてもやらねばならないことがある」と語っていた。この言葉が全社員の共通思想になっていることが,Samsungグループの現在の成長を支えた理由の一つだ。

*3 邦訳本は『ビジョナリー・カンパニー 2』(山岡洋一訳,日経BP社,2001年)。

 トヨタにも立派な基本理念「豊田綱領」がある。5項目の豊田綱領の根本精神は「人と社会に奉仕する」使命感だ。使命感に生きることは,人にとって最大の喜びのはずである。章男氏は,たびたび豊田綱領や佐吉と喜一郎の言葉を引用して今後の経営に対する姿勢を述べているから,この件は心配ない。今こそ沈鬱遅鈍(ちんうつちどん)の精神に立ち返り,拙速よりも巧遅を尊び*4,業務のひずみが品質に逃げないようにすることが,章男氏には求められている。あとは,世界一に浮かれて少しねじが緩んできている一部の社員について,「人と社会に奉仕するトヨタの使命感」で締め直す必要があるだろう。今後は,たとえ米国から制裁金を受けることがあっても,「新生トヨタ」に向けて再生が始まる。

*4 拙速は事後的対症療法,巧遅は事前の綿密な計画および行動のことなので,結局ゴールに到達する時期は巧遅が早い。すなわち巧遅とは,「巧速」のことである。

対岸の火事か,他山の石か

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