今回は,2006年5月15日に最高裁判決の下った米eBay Inc.と米MercExchange LLC.の特許侵害裁判を取り上げる(最高裁の資料ITpro関連記事)。インターネット・オークションなど向けソフトウエアの開発企業であるMercExchangeが「Buy It Now」機能に関する特許を侵害されたとしてインターネット・オークション大手のeBayを訴えた事例だ。Buy It Nowとは,オークションの売り手が希望する落札価格を設定しておき,買い手がその価格で入札すれば競売の手続きなしにその時点で落札できるというもの。係争は,地裁ではeBayに対して差止命令が下ったものの,最高裁で覆る結果に終わっている。

 一般に,著作権侵害や名誉毀損などを理由として,裁判で差止命令を得るには,原告は基本的には以下の4点を証明しなければならない。
(1)回復不能の損害を被ること
(2)損害を補償するのに,金銭的な補償は不適切であること
(3)差止命令が下された場合,被告の被る困難が原告の損害に比べて少ないこと
(4)公衆の利益

 このうち,最も重視される要件が(1)である。従来の特許侵害裁判では,特許を侵害しているなら(1)は当然のこととされていて,わざわざ証明する必要がなかった。このため,原告側はほぼ自動的に差止命令が得られた。特許の使用に対して差止命令が下れば,特許権を侵害している側はその事業を中断せざるを得なくなる。従って裁判が起こされれば当然下されるであろう差止命令は,特許侵害者にとっては脅威であり,特許を保有している側にとっては,ライセンス交渉の有力な武器になっていた。

 ところが,最高裁はeBayとMercExchangeの裁判で,特許侵害訴訟といえど恒久的な差止命令が自動的に下される根拠はなく,他の訴訟と同様に上記の4点を明らかにしなくてはならないとの判決を下した。

保有特許を使わない発明者は不利に

 この判決が下ったことにより,原告の立場によっては,差止命令を得るのが難しくなった側面がある。たとえば,原告が実際に特許技術を使って製造や販売を行っている場合は,特許を侵害されたために,製造への投資が回収しづらくなった,販売機会が失われた,などの「回復不能の損害」を証明しやすい。実際,eBay事件の最高裁判決の後も,こうした原告は差止命令を勝ち取れたケースが多い。一方で,MercExchangeのように原告が自ら特許技術を使って事業を運営していない場合は,「回復不能の損害」を被るとは証明しづらい。こうした原告はeBay事件の後,差止命令は得られずに,ロイヤリティに見合う損害賠償のみを得るケースが増えた。

 本判決は,大学や,事業を起こす資金を持たない個人発明家など,特許技術を自ら使うのではなく,ライセンス料のみにより利益を得るタイプの特許保有者にとって望ましいものではないだろう。こうした特許保有者は特許侵害の事実が認められても差止命令を得られない可能性が高くなるため,特許侵害者としては事業を中止しなければならない可能性に怯えずに済む。特許保有者はライセンス交渉において不利になるというわけだ。

 そもそも特許とは,発明者が一定期間,独占的に発明を使用,譲渡できる権利である。発明者が特許化された技術を自身で使用していないからといって,他者に発明を使用,譲渡するかどうか選択する権利を行使できないのは,はたして公正な状況と言えるのだろうか。特許侵害を認定しながら差止命令を下さないということは,特許保有者が他者に発明の使用を許可する(あるいは許可しない)権利を否定することになる。裁判で決められたライセンス料さえ払えば特許を侵害した者の勝ち,という状況を生むことになりはしないだろうか。