この連載の趣旨と目次はこちら

前回の山田日登志の指導会後,守谷刃物研究所にある変化が現れた。マイ雑巾とマイ洗面器を小脇に抱え,早朝から機械を磨く幹部たちの姿。「自分が変わらな,会社は変えられん」。その思いが,会社を動かし始めた。 (この記事中の写真:伊達悦二)

「今から,成果発表会を始め……」

「違うっ。まずは号令から」

「はいっ,すいません」

 2006年2月某日,島根県・安来(やすぎ)市にある守谷(もりや)刃物研究所の会議室。約20人の選別メンバーが,張り詰めた表情で着席していた。

 対峙(たいじ)するは山田日登志(66歳),ではなく,同社社長の守谷光広(46歳)。

「まったく,なっとらんじゃないか」

 守谷は頭を抱えた。

 2005年暮れの山田の指導会後,守谷は「社内カイゼン会」と称する山田不在の勉強会を週1回のペースで開くようになった。なるべく多くの社員に,カイゼンを体感してもらうためだ。

 工場の従業員は約200人。そのうち,山田の指導を受けたことがある者は,まだ5分の1にも満たない。

 そこで守谷は,勉強会では「経験者」と「未経験者」のグループからそれぞれメンバーを選抜し,混合のチームを作った。中でも経験が豊富な2人をリーダーとし,5~8人2班で動く。毎回,何人かは新メンバーが加わるように,選び方には気を配った。

 勉強会の構成は,山田のスタイルをそっくり真似た。昼間の3時間は,現場のムダを見つけてその場で対策を打つ「カイゼン実習会」。夕方は,その結果を報告する「成果発表会」という2本立てだ。

「もう一回,号令からっ」

「はい」

 この日の成果発表会の司会を担当したのは,未経験者の社員だった。やり方が分からないのも無理はなかったが,守谷はあえて厳しく律した。山田ならそうするだろう,と思ったからだ。

「キリーツ,レイ」

「よろしくお願いします!」

 威勢の良い号令とともに,「手作り」の発表会は幕を開けた。

男と男の約束