1977年10月,明け方近くまで居酒屋で議論を交わし,フラフラになって帰宅した日立製作所の安井徳政は,妻の言葉に酔いが一気に醒めていくのを感じた。欧州に駐在している長瀬晃から至急連絡が欲しいとの国際電話が何度もあったという。当時,欧州からの国際電話はよほどの緊急事態でない限りかかってこなかった。

 すぐに長瀬に連絡を取った安井は,話を聞くなり真っ青になった。量産を開始したばかりのnMOS製4KビットSRAM「HM472114」に大問題が起きた。欧州のユーザーがプリント基板に実装して評価したところ,全く動かなかったという。HM472114には,高集積化を実現するため高抵抗多結晶Si負荷メモリ・セル(高抵抗セル)を新たに導入した。その高抵抗セルに何か問題があったに違いない。