英語で役員のことを「director」というように、方向(direction)を決めることは役員の最も重要な仕事の1つである(ちなみにもう1つの重要な仕事は、人材育成だ)。データがなくて分析もままならず、どちらの方向に向かえばよいか分からないときに、自分の価値観や哲学で「こっちに行け!」と、決断しなければならない。

 1986年秋に、ホンダの東京・青山本社でエアバッグの量産の可否を決める会議があった。俺はプロジェクト・リーダーとして参加した。十数人の経営会議メンバーのうち1/3は反対。暴発や不発などの重大な不具合を恐れてのことだ。そのリスクを負うのは時期尚早という論理だった。残りの2/3は消極的反対。賛成とは決して言わない。さすがに「これはダメだ。お蔵入りか」と思った。

 ところが、当時社長だった久米是志さんが、会議メンバーをぐるりと見渡しながら「エアバッグの高信頼技術は、お客様の価値である品質の向上につながる。よし、やろう。皆さんよろしいですね。」と言った。この一言でエアバッグの量産が決まった。イノベーションは全く新しいことなので、データを論理的に分析しても答えが出ない部分が必ずある。だから、最後は論理を超えて決断しなければならない。

 しかし、それを避ける役員が多い。「ライバル他社の動向は?」「もう少しデータを集めて、可能性を見極めてくれ」「案は3つくらい必要だ」と、判断を先延ばしする。中には、リスクの高いプロジェクトに対して「大丈夫か」を連発して、心配しているかのように見える役員がいる。しかし、これは失敗した場合に「最初から私は難しいと思っていた」という言い訳をするためであることが多い。逃げ腰の態度は現場にすぐ伝わるのだ。

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