【前回より続く】

ソニー CSR部 統括部長の冨田秀実氏。(写真:室川 イサオ)

 2001年11月。極寒のノルウェー・オスロ。日本からの出張で,この地を訪れていたソニーの冨田秀実(当時は社会環境部 環境戦略室 室長,現・CSR部 統括部長)はなぜか,日本,そしてオランダとの電話のやり取りに追われていた。

 冨田がわざわざこの地に出張した本来の目的は,数日にわたってオスロで実施される会議への出席だった。しかし,冨田はその会議への参加を途中で取りやめ,理由を周囲には告げず,そそくさとオランダに向かった。

「何があったのだろう…」

 冨田と共にオスロでの会議に参加していたキヤノンの古田清人(当時は生産本部 環境技術センター 課長,現・環境本部 環境企画センター センター所長)は,冨田の不可解な行動に,ただならぬ気配を感じていた─。

 この時ソニー・グループは,この時点ではまだ公になっていなかった,ある「事件」に巻き込まれていた。冨田は,後にエレクトロニクス業界を大きく揺るがすキッカケとなった,その事件の対応に追われていたのである。

有害物質の把握を試みる

 2000年の声を聞くころから,国内機器メーカー各社は,Pbフリーはんだの採用に相次いで乗りだしていた。当初は一部の製品から試験的に始めるという手探りの取り組みだったが,2001年に入ると多くのメーカーが本格的な導入に踏み切った。キッカケとなったのは,2000年6月に業界推奨のPbフリーはんだ組成がSn-3Ag-0.5Cuに決まったこと。そして2001年2月に,その組成に関連する特許問題が解決したことである。

 機器メーカー各社が競うようにPbフリー化を進めたのには,理由があった。近い将来,その対応が避けて通れない必須事項になると,おぼろげながらも分かっていたのだ。Pbなどの有害物質の含有を禁止するEU(欧州連合)の法律「RoHS指令」の影が,目の前にちらついていた。2000~2001年の時点ではまだRoHS指令の施行日程は正式に決まっていなかったが,いずれ施行されるのであれば,できるだけ早く対応を済ませたいと機器メーカーの多くは考えていた。