前編より続く

 それでも最初のうちは,まだよかった。でも,だんだん風当たりが強くなってきて,しまいには社内中から白い目で見られる始末でした。なに遊んでるんだって。

インクジェット部隊と統合され

 もちろん,遊んでなんかいないですよ。冗談じゃない。当人たちは一生懸命やっているわけです。でも,自信なくしますよ。周囲がそんな雰囲気だから。「やっぱり画像印刷よりも,文書印刷の開発が先決かもしれない。まずはきれいな文字を打ち出す技術を確立して,それから,画像印刷の技術開発に取り組んだ方がいいのかなぁ」なんて弱気になってきて…。

 そうこうしているうちに,ビデオ・プリンタの開発は中止になってしまいました。このままいつまでもプリンタ事業の足を引っ張っているわけにはいかないってことで。私のいた開発部隊は,そのときインクジェット・プリンタの開発部署と統合されることになったんです。たしか,1989年のことだったと思います。

 ただ結果的に,この統合がいい方向につながった。きれいな文字を打ち出す技術の開発に取り組んでいたインクジェット部隊と,画像を印刷する技術を培ってきたビデオ・プリンタ部隊がいっしょになって,お互いの持ち味がうまくかみ合った。これがあったからこそPM-700Cは生まれたんです(図2)。当時はそんなことまったく考えていなかったけどね。

図2 プリンタ市場のシェアの推移
セイコーエプソンは「PM-700C」のヒットをキッカケに,プリンタ市場のシェ アでライバルであるキヤノンを引き離しつつある。1998年は過半数を超えるシェアを獲得した。(図:『日経産業新聞』の「点検シェア攻防」のデータを基に日経エレクトロニクスが作成)

「侵略者」現る

 社内がそんな状況だったころ,プリンタ業界では大変なことが起きていましてね。

 米Hewlett-Packard Co.が当時としては画期的に安いインクジェット・プリンタ「DeskJet」を米国で製品化してきたんです。価格は1200米ドルで,解像度は 300dpi(dots per inch),しかも印刷速度はなかなか速い。そのころウチが製品化していたインクジェット・プリンタ「HGシリーズ」の価格は30万円~40万円で,解像度は180dpiだったから,かなりの差があるわけですよ。

 でも,ウチはのんびりしたもので,「そんなにすごいのかなぁ」,「どうせ,そんなに売れないでしょ」とか言ってましたね。HGシリーズやインパクト・プリンタの売れ行きが好調だったせいでしょう。

 でもね,だんだんDeskJetがシェアを伸ばしてきて,ウチのインパクト・プリンタの領域を食い始めた。おまけに1年~2年後には,800米ドルくらいの製品も出てきて,あれよあれよという間にインクジェット市場が膨らんでいった。まったく予想外のことでした。

さらなる「刺客」も

 そこへ追い討ちをかけるように,レーザ・プリンタも伸びてきたんです注4)。本当の脅威はこっちの方でね。ウチのインパクト・プリンタの売れ筋は,価格が1000米ドル~2000米ドルと高い製品群だった。そこへ,まともに入ってきたのがレーザ・プリンタだったからです。

注4)レーザ・プリンタは,半導体レーザを光源として使う。回転するポリゴン・ミラーにレーザを照射し,感光ドラム上を走査させることで,記録データを書き込む。