個人向けインクジェット・プリンタ市場で,トップ・シェアの座に君臨するセイコーエプソン。その橋頭堡的な役割を果たしたのが,1996年末に発売して大ヒットしたプリンタ「Colorio PM-700C」である。開発の発端は1990年前後。当時の様子を今回はプリンタ開発の総責任者である中村治夫氏(写真)に振り返ってもらった。
「これならいける,絶対売れるぞ」って確信はありましたよ。「PM-700C」を1996年の年末商戦にぶつけようと決めたときにはすでに(図1)。見てろ,プリンタの概念を根底からひっくり返してやるぞ,という気概もね。とにかく,これまでのプリンタとはぜんぜん違うものだという印象がありました。その画質は圧倒的でしたから。
もちろん,これだけのモノを作り上げるのですから,ずいぶん苦労しました。長かったよな。かれこれ18年,18年ですよ。それだけの道のりを経て,やっとここまで来た,という感じですね。
それまでの18年間で,蓄積した数々の要素技術を集大成して作り上げたのが「PM-700C」だったんです。
それは18年前から始まった
すべての始まりは,PM-700C発売の18年前,1978年にまでさかのぼります。当時はまだ「セイコーエプソン」という会社はなくて,プリンタ事業はエプソンの前身の諏訪精工舎と,その関連会社の信州精機が担当していました。この2社が共同でプリンタ開発に取り組み始めたのが1978年。インクジェット・プリンタの実用化に向けた研究開発がスタートしたのもこのときです注1)。
注1)インクジェット・プリンタは,セラミック圧電体の振動によってインク粒を打ち出すタイプや,ノズル中のヒータを熱することで発生した泡の圧力でインクを飛ばすタイプがある。たとえばセイコーエプソンは前者,キヤノンや米Hewlett-Packard Co.は後者を採用している。
でもね,最初からインクジェットが本命だったわけじゃなくてね。熱転写とか,レーザとか,いろいろな印刷技術に関する研究に取り組んだ。とにかく,たくさんやりましたよ。
こうした研究成果を基にして,ウチとして初めてのインクジェット・プリンタ「IP-130K」を製品化したのは1984年のことでした。もちろん,オフィス向けで,価格は50万円くらいだったと思います。まあ,製品化はしたんですが,当時の主力製品は何といってもインパクト・プリンタでね注2)。あまり社内では注目されてなかったんじゃないかな。そういう時代でした。
そのころの私は,これまた主力ではない熱転写プリンタの開発に携わっていたんです注3)。「ビデオ・プリンタ」ってやつですね。ソニーとかがカラー・ビデオ・プリンタを出してしていて,VTRで録画した画像をプリントするのがちょっとしたブームになっていたころです。ウチでもビデオ・プリンタを出そうという話になって,私もそこに狩り出されていたわけです。それで,どうにか開発にメドを立てて,製品が出せたのは1988年のことでした。
注2)インパクト・プリンタは,インクリボンをワイヤなどで用紙に打ち付けて印刷する。たとえば,ドット・インパクトと呼ばれる方式では,縦に並んだワイヤが飛び出してインクリボンを用紙に打ち付ける。24ドットのプリンタであれば,通常24本のワイヤを用いる。
注3)熱転写プリンタは「ビデオ・プリンタ」とも呼ばれ,加熱すると昇華(気化)する顔料インクの付いたインクリボンを用いる。通電したサーマル・ヘッドの発熱体によって,インクが昇華して紙に転写される。
でも売れなかったな。ほとんど。当時はまだ白黒プリンタで文字を打ち出すというのが,プリンタの一般的な使われ方でしたから,開発の方でも重点課題は白黒プリンタでいかに早くきれいに印字するかということでした。でも,私がやってたのは画像印刷でしょ。しかも売れない。ずいぶん肩身の狭い思いをしました。社内でも「いつまでビデオ・プリンタなんかやってるんだ」なんて言われてね。
なのに私の上司は画像印刷技術にゾッコンで,「もっとやれ,もっとやれ」とか言ってケツを叩く。困りますよね,こういうの。いったいおれはどうすればいいんだって,悩みますよ。ほんと,このときはしんどかった。