(前回から続く)

三菱電機は1996年,ついに暗号アルゴリズム「MISTYミスティ」を世に送り出した。竹田栄作が先頭に立って情報セキュリティ事業の立ち上げに奮闘し始めた。竹田らは,何度も米国まで足を運んでMISTYを売り込んだ。米国標準暗号「DESデス」をしのぐ安全性と実装性を兼ね備えるが,実績につながらない。著作権保護技術を求める標準化団体にもMISTYを提案した。しかし成果は芳しくない。世界の業界標準に育て上げるべく,とうとう竹田は最後の手段に訴える決心をした。


 春――ピンク色のトンネルが,鎌倉市大船の街中に突如出現する。そこかしこで桜のつぼみが,一斉にほころびる。大船の街が,1年で最も華やかになる時だ。構内に桜並木を有する三菱電機の研究所は,満開の時期に合わせて,地域の住民に構内を開放し,「さくらまつり」を催す。

 「山岸さん,早く豚汁回してくださいよ」

 「まぁ待て,まぁ待て。慌てるな,慌てるな」

 1997年。今年もまた,さくらまつりの季節がやって来た。業務を終えた金曜日の夕刻,暗号研究チームは,日ごろの憂さを忘れ,愉快なひとときを過ごしていた。近隣の人たちを招き入れる前日に開かれる「夜桜祭り」だ。三菱電機の大船地区の親睦組織「菱船会」が中心になって催す社員限定のお花見である。

 「ほら中嶋さん,遠慮しないでそこ座って。あれ,市川と反町は?」

 「まだ2人とも研究室にいましたよ。なんだか議論に夢中で。ゲート数が幾つに減るとか,減らないとか」

 「そういや時田もいないな」

 菱船会の委員を努める時田俊雄は,研究所のお偉方を接待しようと,新入社員を引き連れ,大船地区を駆け回っていた。

 「おやおや,暗号の皆さんじゃないですか。どうですか調子は?」

 今にも乾杯しようという暗号研究チームの輪に入ってきたのは,ビールを片手に法被を羽織った研究所長の野間口有である。現在は三菱電機の社長を務める野間口は,当時から部下に気さくに語り掛ける人柄が評判だった。

 「ノマさん,今日は堅いこと言わないで,一緒に飲みましょうよ」

 「はいこっち。こっち見てー。撮りますよー。はい,チーズ!」

満開の桜の下で
1997年春,三菱電機の大船地区で開催された「夜桜祭り」のひとこまである。当時,研究所長であった野間口有氏(現・三菱電機社長)が,暗号の研究開発メンバーの輪に訪れた。左手前から時計回りに松井充氏,吉田大氏,酒井康行氏,中嶋純子氏,野間口有氏,竹田栄作氏,山岸篤弘氏,小林信博氏,太田英憲氏,長谷川俊夫氏である。各人が当時,手掛けていた研究開発テーマは多岐にわたる。吉田氏は暗号用ボードの開発,酒井氏は著作権管理システムの研究,中嶋氏は各種マイクロプロセサへの暗号の実装評価,小林氏はネットワーク・セキュリティの研究,太田氏は暗号ライブラリ・ソフトウエアの開発,長谷川氏は公開鍵暗号の研究開発である。(写真:三菱電機)