――1995年9月。三菱電機はMISTYの広報発表を無事に終える。DESの解読を発表した時のように,回りくどい表現はしなかった。「DESをしのぐ強力な暗号方式を開発」と胸を張って主張した。MISTYを核にした事業を立ち上げるという大仕事を前に,部員達はつかの間の喜びに浸った。
どうせなら業界標準
大船の街に夜の
「センター長ですね。ちょっとお待ちください」
受話器を手でふさぎ,辺りをせわしなく見回す。
「竹田さーん,電話ですよー。え,席外してるの。弱ったなー。ノマさんからなんだけどさ。うーん,まいっちゃったなぁ」
電話の主は研究所長の野間口有である。現在は三菱電機の社長を務める野間口は,当時,再編後の最初の研究所長として手腕を振るっていた。野間口が呼び出したのは,山岸の直属の上司である竹田栄作。6月に設立された情報セキュリティシステム開発センターのセンター長だ。実は,同センター設立を画策した張本人が野間口だった。
この時期,野間口は竹田に頻繁に電話をかけた。自身の肝いりのプロジェクトを託した竹田に,発破を掛けるためである。対する竹田は,一向に歯切れのいい返事ができなかった。おっとりした口振りで厳しい意見を吐く野間口に,冷や冷やさせられっ放しだった。色よい答えを返せなかったのは,今から思えば無理もない。何しろ,何の実績もなかったMISTYを,業界標準の座に据えろというのだから。
竹田は,長い間コンピュータ関連の事業部で,コンパイラの開発を手掛けてきた。研究所に移りビデオ・オン・デマンドの事業化にかかわった後,情報セキュリティシステム開発センターを任された。
今でも思い出すのは,就任早々に