(前回から続く)

 準備は万端のはずだった。いくつもあった課題には,この時までに手を打った。中でも開発陣を苦労させたのが,チップの強度である。香港向けに開発したチップは約4mm角と大きい。カードを曲げたり衝撃を与えたりするとチップが割れてしまう。試行錯誤を重ねた結果,行き着いたのが,シリコーンゴムでチップを包み込む方法だった。チップがカードから浮き,曲げや衝撃が伝わりにくくなる。

 試作は成功した。しかし量産は別物である。ICカードを収めた箱が続々と積み上がる様に,伊賀は身震いした。もしも大量の不良品が出たら――。

伊賀と三木,香港を訪れる

 1997年9月,FeliCa初の実用化事例となる香港の自動改札システム「Octopus (八達通)」の運用がついに始まった。ICカードやリーダー/ライターを香港に無事納入してから3カ月後,香港の中国への返還から2カ月遅れのスタートだった。

 心配した不良品の山は現れなかった。乗客から,FeliCaの技術に起因する苦情はほとんどなかった。伊賀の心配は杞憂で済んだ。

 それどころかOctopusは,香港市民の心をガッチリつかんだ。カードは毎日1万枚以上のペースで売れ続け, 3カ月弱で220万枚を突破した。早くも100万枚の追加発注がソニーに飛び込んできた。文句なしの大成功だ。

 同年11月,伊賀はJR東日本の三木と連れ立って香港を訪れた。地下鉄に向かい,手塩に掛けた技術の成果を自らの目に焼き付ける。ちょうど,女性がOctopusカードを入れたハンドバッグを読み取り面に置いてゲートを通るスタイルがはやっていた。香港市民は,彼女らを「Octopus Girl」と呼んでもてはやした。

 伊賀と三木は,目の前の光景を万感の思いで眺めた。宅配便向けICカードの開発で挫折した伊賀が,鉄道総合技術研究所にいた三木を訪ねてから9年余り。JRの不採用,開発の中止といった障害を乗り越えたFeliCaは,わずか2カ月で香港市民の生活を大きく変えた。最高の気分だった。