アイシン精機側でソフトウエアのバグ対策を指揮したのが,ITS技術部の斉木充義である。「本当に間に合うのだろうか…」。作業に取り組み始めた斉木は半信半疑だった。というのも,斉木は田中が苦労している姿をよく見掛けていたからである。その苦労ぶりを知っていたからこそ,かなりの危機感を持って臨んでいた。
だが,その危機感もゴールデンウイークが明けるころには変化の兆しが表れる。開発するソフトウエアの全容をようやく把握できると「何とか間に合いそうだ」とひそかに皮算用をはじいていた。もちろん,まだソフトウエアのバグ対策は膨大に残っていたが,逆に言えば,その対策だけに没頭できる状況になったことで,あとは時間と人をかければ済むと感じていた。
アイシン精機へ日参
実際,トヨタ自動車とアイシン精機のそれぞれの特別チームは,持ち分を決めてソフトウエアのバグつぶしに終始する。トヨタ自動車ではソフトウエアのバグ対策として,日々出るバグの個数を調査する「バグ曲線」を基にソフトウエアの完成度を検証していた。そのバグ曲線を同社の岩田は,夕日が差し込む会議室で毎日にらみ続けていた。
「あの人って,トヨタ自動車の岩田さんでしょ? ここのところ,毎日見掛けるよね」
「うん,この時間になると毎日来るらしいよ」
「大変だなあ」
「何か鬼気迫るものがあるよね」
岩田がいる場所はトヨタ自動車ではなく,アイシン精機の本社。岩田は毎日必ずトヨタ自動車の本社からアイシン精機の本社まで,夕方になるとクルマを飛ばし駆け付けていた。その岩田の姿は,いつの間にかアイシン精機の間で名物になっていた。
進行管理を一任された岩田は,その日の進行状況を確認し,明日はどう進めていくかを話し合うためにアイシン精機に毎日通い詰めていたのだ。その日参も2カ月が過ぎた2003年6月の終わりに,状況が変化し始める。
「最近,岩田さんの表情が明るいね」
「きっと開発案件がうまくいき始めているんじゃない」
このころになると何とかバグの発生件数も減り,量産化に向けてメドが立ち始める。岩田は里中にその報告をする。
「何とかなりそうですね」
「いろいろとご迷惑を掛けました」
「いやあ,間に合いそうでよかった」
「本当ですねえ」