主人公は十兵衛という大工である。腕はいいが口べたで目端が利かないため「のっそり」と呼ばれている。実際ろくな仕事にありつけず貧乏である。あるとき感応寺が五重塔を建てることになった。それを知った十兵衛はぜひとも自分の手で建てたいと思う。
夜寝ていると「今直(すぐ)つくれ」という声が聞こえ飛び起きる、というところまで思い詰めた結果、十兵衛は自分ならこう建てるという思いを表現した模型を作って感応寺の上人に見せにいく。自分は確かに馬鹿です、いつも詰まらぬ仕事ばかりやらされています、でも腕には自信があります、何としても自分にやらせて下さい、と頼み込むのである。
「拙い奴らが宮を作り堂を請負ひ、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造へたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きます」
これは十兵衛が感応寺の上人に語った台詞である。感応寺の上人は、源太という腕のよい親方に頼もうとしていた。十兵衛は源太に世話になっており、源太の名前を聞いていったんは諦めようとする。一方、上人に諭された源太親方は十兵衛に「一緒に建てよう」と持ちかける。源太が主、十兵衛が副という組み合わせである。
イラスト◎仲森智博 |
「真底から厭にせよ記臆(ものおぼえ)のある人間の口から出せた言葉でござりまするか」
だが誰が何と言おうと十兵衛は、源太と仕事をすることを承知しない。怒った源太が帰ってしまった後、女房に詰問された十兵衛は親方の寛大な申し出を拒否した理由をこう説明する。
「十兵衛が仕事に手下は使はうが助言は頼むまい、人の仕事の手下になって使はれはせうが助言はすまい、(中略)何所から何所まで一寸たりとも人の指揮は決して受けぬ、善いも悪いも一人で背負つて立つ(中略)自分が主でもない癖に自己の葉色を際立てて異った風を誇顔の宿生木(やどりぎ)は十兵衛の虫が好かぬ(中略)十兵衛は馬鹿でものつそりでもよい、宿生木になつて栄えるは嫌ぢや(中略)ただ宿生木になつて高く止まる奴らを日頃いくらも見ては卑い奴めと心中で蔑視げてゐたに、今我が自然親方の情に甘へてそれになるのは如何あつても小恥しうてなりきれぬ」
「死んでも業を仕遂げれば生きてゐる」
結局、源太親方は考え直し「そこまで言うなら」と十兵衛に仕事を譲る。そのときに途中まで調べて作った五重塔の図面を渡そうとするが、またしても十兵衛は拒絶する。自分で建てるのだから自分で調べ自分で設計するというわけである。堪忍袋の緒が完全に切れた源太親方は帰り際、ちゃんと建てられるのだろうな、と十兵衛に問う。十兵衛は「のつそりでも恥辱は知つております」と答えた。
こうして十兵衛は念願の五重塔建立に着手するが、なかなか大工たちが言うことを聞かず苦労する。しかも源太親方の弟子の一人が十兵衛の重ね重ねの非礼に腹を立て、十兵衛に斬りかかり、耳をそぎ、肩に傷を負わせてしまう。
襲われた翌日、耳をそがれたにもかかわらず十兵衛はいつも通りの時刻に起き、現場に行こうとする。驚いた女房が止めるが十兵衛は、日頃から馬鹿にされてきた自分が指示を出しても大工たちは動いてくれない、ここで休んでは皆がさらに怠ける、と言って出かけてしまう。
「どうかこうか此日まで運ばして来たに今日休んでは大事の躓き、(中略)万が一にも仕損じではお上人様源太親方に十兵衛の顔が向られうか、これ、生きても塔が成ねばな、この十兵衛は死んだ同然、死んでも業を仕遂げれば汝が夫は生きてゐるはい」
まさか十兵衛はおるまいと様子を見に来た職人たちは十兵衛に声をかけられ一様に驚く。そして「これより一同励み勤め昨日に変わる身のこなし、一をきいては三まで働き、二といはれしには四まで動けば、のつそり片腕の用を欠いて却て多くの腕を得つ」という状態になり、見事な五重塔が出来上がった。
「快心の譚実際界に無しとするや否や」
以上が五重塔の粗筋である。十兵衛の技術馬鹿ぶりは徹底していて、自分の腕を振るっていい仕事をしたいという気持ちが先に立つと、大恩ある源太親方への義理も人情もどこかに行ってしまう。浪花節がまったくない点が筆者には痛快であった。
もっとも仕事をしていないときの十兵衛はかなり女々しい。感応寺の上人に談判に行った帰り道では、分際を忘れた俺が悪いと反省してみたり、そうは言ってもやはり仕事ができないのは口惜しいと涙ぐんだりしている。五重塔の建立を手掛けられることが決まったときは感極まって泣く。それでもひとたび現場に立つと別人になるのである。
何とまあ御都合主義の小説ですね、と冷笑する読者がおられるかもしれない。作者露伴はそのような反応をあらかじめ予想していた。早稲田大学名誉教授の松原正氏は著書『人間通になる読書術』(徳間書店、絶版)の中で五重塔を紹介し、次のように書いている。
「十兵衛の誇りとて、明治時代の理想主義小説中のお話にすぎないと読者は言うであろうか。だが作者幸田露伴はこう書いているのである、『借問す世間の鄙夫、男女纏綿の痴談の外、此等快心の譚実際界に無しとするや否や』。つまり、この世の中には男女の色事以外に、こういう心を洗われるような話がないと、あなた方は言い切るのか、と露伴は開き直っているのである」
世間に向けた露伴の借問にどう答えるかは読者次第である。以下に筆者なりの回答を書いて本稿を終える。
この3月末を迎えると筆者の記者生活はちょうど20年となる。一貫して技術雑誌の記者であったから「男女纏綿の痴談」を取材したり書いたことは一度もないが「快心の譚」をどれだけ紹介できたかと考えると下を向いてしまうところがある。「生きても快心の譚を描けねば死んだも同然、死んでも業を仕遂げれば生きてゐる」という考えで4月から21年目に突入したい。
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