前回、コンサルタントはビジネスと企業の本質を分かっておらず、ゆえにビジネスも企業も分かっていないと述べた。だから、彼らは、企業の経営を誤らせかねない者である。なのに、ビジネスの専門家のつもりになって、企業を支援しているつもりになっている。

 しかし、それだけではない。

コンサルタントは、「屁理屈」で稼ぐ

 コンサルタントは、論理で稼ぐ。なぜなら、論理的な考えというものは、論理的であるという「もっともらしさ」を持つものであり、企業はコンサルタントにそれを求めるからである。

 ところが、コンサルタントは、ビジネスと企業の本質を分かっていないから、彼らの考えは本質に準じる考えではなく、偶有性に準じる考えである。よって、いかに論理的であろうと、正しいとは限らない。そして、もっともらしいが正しいとは限らない考えをもたらす論理は、いわば「屁理屈」でしかない。

 だから、コンサルタントは「屁理屈」で稼ぐ者であるといえる。

コンサルタントは、「人のフンドシ」で稼ぐ

 さらに、コンサルタントは、事例で稼ぐ。なぜなら、事例のある考えというものは、具体的に当てはまる事象が存在するという「もっともらしさ」を持つものであり、企業はコンサルタントにそれも求めるからである。

 中でも、米国企業の事例がある考えは、高い「もっともらしさ」を持つものだから、コンサルタントの多くは、米国企業の事例でよく稼ぐ。それは、事例のロイヤリティー(使用料)を米国企業に払ったらどうだ、と言いたくなるほどだ。

 ところが、そもそも偶有性に準じる考えは、何かの事象に偶有的に(=たまたま)当てはまったり当てはまらなかったりするものなのだ。よって、世界初のものは別とするが、コンサルタントの偶有性に準じる考えに事例があるのは、それが正しいかどうかとは無関係に、たまたまのことでしかない。

 そして、通常、彼らは、彼らが使う事例に関与していないから、事例は「人のフンドシ」だ。

 だから、コンサルタントは「人のフンドシ」で稼ぐ者でもある。

 ということは、である。コンサルタントは、自身の考えの「正しさ」ではなく、それに「屁理屈」と「人のフンドシ」がもたらす「もっともらしさ」を売る者なのだ。

 などと考え始めると、私は、ただでさえ嫌いなコンサルタントが「大」嫌いになるのである。