承前

 今回は、Samsung Electronics社(以下、サムスン電子)から声が掛かったばかりの頃に話を戻し、同社で始まった試行錯誤的なモジュラーデザイン(MD)のコンサルティングの状況と、その過程で知った同社の現場が持つ真の力量を紹介する。

 2003年8月初め、韓国のG-MICというコンサルティング会社から連絡があり、9月1日にサムスン電子でトヨタ自動車に関する講演をしてほしいといわれた。私の本『トヨタ経営システムの研究』(ダイヤモンド社)が同年3月に韓国で『トヨタ無限成長の秘密』として翻訳出版され、それをサムスン電子のJae-Yong Lee(李在鎔、イ・ジェヨン)常務(当時)が高く評価したことがきっかけだった(第15回参照)。

 そこでハングル語への翻訳にかかる期間を考慮して本のエッセンスをまとめた講演資料を8月中旬に送ったところ、サムスン電子のJong-Yong Yun(尹鍾龍、ユン・ジョンヨン)CEO(当時)は私の本を既に読んだので、本に書いてある部品共通化や原価低減に絞って講演してほしいというリクエストが入った。「今さらそんなことはできない」と断ったら、「サムスン電子の担当者が『クビになる』と泣きついてきた」とG-MICが必死に訴えてきた。「ウソだろ?」と思いつつもCEOの要望なら仕方ないと考え、これまで個人的に研究してきた『モジュラーデザイン』に関する断片的な理論と経験をまとめた講演資料を作成し、G-MICに送った。

 後から分かったのだが、「クビになる」とは決して大げさな表現ではなかった。あの時点で私が断ったら、サムスン電子はその担当者を確実に解雇しただろう。サムスン電子とは、そういう会社だった。