日本の中学、高校、大学で言う「課題解決力、コミュニケーション能力」育成の教育とアメリカのMBA教育は最終的な目標は同じでも中身は似て非なるもの。創造する事、課題を解決すること、プレゼンすること(情報を伝えること)は、基本的にアウトプットです。つまり、自分が既に持っている知識や経験を基に、ソリューションを生み出すこと。

 MBAでは既に大学で学び、社会で仕事の実践を積んだ人、つまり十分にインプットがある人を対象に、いかにアウトプットするかを教えます。語るべき内容を持たない人にプレゼンテーション力を育成しても仕方ありません。現在の日本で教育を改革して高校や大学で課題重視にしてしまうと、MBAコースを経験した私でさえも、インプットが足りない人がどうすればアウトプットできるようになるのか、わからないのです。アメリカのMBAの入試で職務経験が必須とされるのは、既にインプットがある人だけしかアウトプットできるようにならない、ということではないでしょうか。

 また良く誤解されますが、アメリカの大学院の入試では学力も重視されます。GMAT、GREといった基礎学力を問う試験、TOEFL(英語の試験)に加えて、大学での成績でも足切があります。私がMBAに受験した際は、学部と修士の成績を提出しました。10年位前の大学時代の成績を出させられたのは驚きましたが、過去サボっていた人はそれ以上にはならない、ということなのでしょう。

 日本の大学改革が参考にしているように、アメリカの大学院の入試ではエッセー(小論文)や面接によって、ペーパーテストでは評価できない課題解決力や人物が審査されます。ただ、面接に到達するには、ペーパーテストや大学の成績など、インプット面で高いバー(足切り)を乗り越えなければならないのです。つまり、基礎の部分で高い足切りをした上で、人物重視の入試をしているのです。

 結局のところ、インプットとアウトプットはバランスが大切です。かつての日本はインプットが重視されすぎていたのかもしれません。知識がある人は多いけれど、知識を生かせていないという反省からか、日本の教育はアウトプット重視に変わろうとしているのでしょう。アウトプットの重要性を認識するのは良いのですが、それもインプットが十分に行われることが前提です。まずは基礎のインプットがあってこそ、アウトプットができる、課題を解決できるようになる。

 中学・高校・大学の最初はインプットのための重要な時期だと思うのです。基礎が揺らいでいる日本の教育現場で更に基礎を疎かにする方向で教育が改革される。こうして日本の教育は「ゆとり教育」に続いて、実に不思議な実証実験をすることになるのかもしれません。

 基礎が大事だと主張する私も大学で課題解決型の講義を始めました。
「エンジニアリングデザインがメーカーを救う ソフト・ハード融合の本質はマネタイズの革新」(URL)