こんにちは。かなりあ社中の山本です。

 民間企業から復興庁に出向し、東日本大震災の被災地である宮城県に生活の拠点を移してから1年が過ぎました。この1年は試行錯誤の連続、もんもんとした気持ちを抱きながら深い谷をさまようような毎日でした。(筆者の被災地での活動や、復興庁に出向する経緯「普通のサラリーマンが被災地支援に乗り出した理由」はこちらから)

 長い間、民間企業でシステム・エンジニアや、経営企画の担当者として働いていたので、国家公務員という立場、国という組織のお作法、東北は宮城県という地域の文化・風土…、ありとあらゆるものが自分にとっては初めての体験で、何度も壁のような、小石のような何かにぶつかってはつまずき、また立ち上がって、2~3歩進むと次の何かにぶつかる。そんな日々の繰り返しだったように思います。

 私が働く復興庁の宮城復興局は、人材のるつぼです。国の多種多様な機関から集まった人材と、業界を越えた民間企業の人材、これらが適度な割合で混ざり合っている組織は、日本中どこを探してもないでしょう。ある意味で恵まれた環境が、どんな化学反応を引き起こすのか。復興のために企業だからこそできることは何か。それをずっと自問自答してきました。

 2011年3月11日。あの日から2年5カ月が過ぎた現在、被災地の復興の進捗状況は皆さんにどれくらい届いているでしょうか。

津波被害を受けた被災地の最近の様子。左は宮城県気仙沼市、右は同県南三陸町。いずれも2013年5月に撮影。
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 厚生労働省の調査では、まだ約10万9000人の被災者が仮設住宅に住んでいます(2013年5月1日現在)。一部で災害公営住宅の建設は始まっていますが、土地の整備が完了していないところも多く、最も早いところは今年の春から、遅いところでは今後2年以上も仮設住宅で生活しなければなりません。

 一般に賃貸住宅の契約期間は、2年間ですよね。更新時期を見計らって引越しをする人も少なくないでしょう。今年の夏には、ほとんどの被災者が仮設住宅に住んで丸2年を迎えます。つまり、もう“仮設”と呼べる期間をとっくに過ぎているのです。さらに2年間ということは、次の更新まで仮設に住むことを余儀なくされる。皆さんは耐えられるでしょうか。

 現地の生活の基盤となる産業復興も途上です。例えば、宮城県沿岸地域の基幹産業である農業や水産業。津波の影響で塩害がひどい農業は、全体の4割しか復旧していません。