2011年3月11日。金曜日。場所は東京・田町。

 僕はその日も朝から慌ただしく動き回っていた。翌日の土曜日に開催する社内イベントの準備のためだ。準備作業に追われ、ほっと一息ついて時計を見ると、午後2時を回っていた。「さすがにお腹が空いたなぁ」。休日出勤を控えている自分自身へのご褒美を兼ねて、大好きなつけ麺を食べに行くことにした。

 昼時はいつも行列ができる店もさすがに空いていた。カウンターに座り、いつもの“中・あつもり・たまご”をオーダー。目の前に登場した熱々の極太麺に、待ってましたとばかり食らいついた。5口ほど口に運んだころだろうか。まだ、半熟ゆで卵に手を付けてない時間帯だった。

 カタカタッと小さな揺れを感じた。「あっ、地震だな」と思ったが大したことはなく、お腹が空いていたので、そのままつけ麺に箸を伸ばそうとした瞬間、ガタガタガタッーと大きな揺れに襲われ、カウンターの向こうにある大きな寸胴鍋からスープがこぼれ落ちた。

 「お客さん、とりあえず外に出てください!!」

 店員さんの声にハッとした僕は、居合わせた2~3人のお客さんと共に外に飛び出した。なぜか、どんぶりを片手に抱えたまま――。

メディアの中の非日常になってはいないか

 こんにちは。かなりあ社中の山本です(かなりあ社中のFacebookファンページはこちら)。

 あの「3・11」から1年半が経過しました。読者の皆さんは日常生活の中で、どれくらい「3・11」を意識しているでしょうか。

 原子力発電所の問題については多くの方が何らかの関心を抱いていることと思います。でも、「地震」「津波」「東北」といったキーワードが、どれくらい日々の生活の中で登場しているのでしょう。もしかすると、多くの方にとっては、メディアの中の非日常になってしまっているかもしれません。

 今、僕は被災地にいます。現地を支援するために。震災後に仲間たちと立ち上げたボランティア団体のメンバーとして。そして、出向先の復興庁の職員として。

 2万6000人以上の人的被害を出した東日本大震災は、終わっていません。復興庁の調べでは2012年8月初旬の段階で、まだ34万人を超える避難者がいます。水面下で復興への動きは進んでいるものの、目に見える進捗に乏しく、「踊り場」に差し掛かった印象さえ感じます。

 被災地を目の当たりにしている身としては、「何かしなければ」という思いに駆られざるを得ません。それぞれの立場で、無理をせず、何らかのカタチで3・11に関わり続けること。それが本当に大切なことだと思うのです。

 そこで、今回から3回にわたって、地震発生後から始まった僕の体験談を紹介したいと思います。メーカーに勤務する、ちょっと前までシステム技術者だった普通の社員である僕が、なぜ被災地の支援に携わっているのか。個人ができることは限られているかもしれません。でも、僕の体験を読んで、その中の何人かだけでも、何かを始めるキッカケになれば…。そう切に思うのです。

 「3・11」を記憶の片隅に追いやるのではなく、しっかりと向き合うために――。