理不尽な会社の判断によって、世界初となる無線テレビ「エアボード」の開発チームは、2000年12月1日の発売からわずか約1年という短期間で解体という憂き目にあった。だが、私を含めたわずか20人で「LFXプロジェクト」として再スタートを切り、2004年4月に世界初の“究極のロケーション・フリー”を掲げた「ロケーションフリーテレビ(ロケフリ)『エアボード LF-X1』」の発売にこぎ着けたのだった(連載の第4回)。
LFXプロジェクトは、当時の安藤社長(当時・代表執行役社長 兼 COOの安藤國威氏)が担当役員であり、本社所属のプロジェクトだったことは前回の連載でお伝えした通りだ。商品化に向けた“インフラ”のない本社では商品化が難しかったのだが、久多良木さん(当時・代表執行役副社長の久多良木健氏)が自らの担当事業部門だったブロードバンドネットワークカンパニー(BBNC)に引っ張ってくれたことで道が開けたのだった。
久多良木さん自身、ソニーコンピュータエンタテインメントで家庭用ゲーム機「プレイステーション」の事業を立ち上げたこともあり、世に送り出す商品へのこだわりは強いものがあった。LFXプロジェクトがBBCNに異動した後、久多良木さんにLF-X1のモックアップを見せた際に、ひと言、「(ディスプレイ部の厚さが)5mmならいいね!」と発言したことを覚えている。
こうした商品への強いこだわりは、かつてのソニーの経営幹部に共通したものだった。少し話を脱線すると、家庭用コードレス電話機の子機は充電台に立っているデザインを採用した機種が多いと思うが、このデザインを最初に提案したのはソニー創業者である盛田さん(盛田昭夫氏)なのである。子機を自ら取るジャスチャーを見せて、そのメリットを話して立てるデザインにしたのである。経営トップがこうしたこだわりを持つことは、商品がヒットするためには重要だ。逆に、今の家電業界では、商品に対するこだわりが強い経営トップが見当たらないのは問題といえる。
旧エアボード部隊が合流
LF-X1の発売日の4カ月前に、時計の針を戻そう。LFXプロジェクトが試作機を米国ラスベガスで開催された「International CES」で披露した2004年1月に、開発チームのエンジニアが増強されることになった。旧エアボードの開発チームが解体された際に、無念の思いながらホームネットワークカンパニー(HNC)内に発足されたネットワーク機器の開発プロジェクト「シンフォニー・プロジェクト」の下部組織に“奪われていた”部下たちが、一部を除いて戻ってきたのである。
エムジェイアイ 代表取締役