2002年9月1日、いよいよ20人で「LFX(location free X)」プロジェクトの船出となった(連載の第3回)。開発拠点は、ソニーのテレビ発祥の地である大崎西テクノロジーセンター(現・ソニーシティ大崎)から山手線を挟んだ向かい側の大崎東テクノロジーセンター(現・大崎ゲートシティ)に移動しての再スタートである。20人という小世帯になので、わざわざ会議室を押さえなくても、私の席の周りに皆が自分の椅子を持って集まってもらえば良い。情報をメンバー全員で共有しやすくなった上、気楽にコミュニケーションができるようになったといえよう。
LFXプロジェクトは、安藤社長(当時・代表執行役社長 兼 COOの安藤國威氏)が担当役員であり、本社所属のプロジェクトだった。社長が担当役員というのも例を見ないことだったが、“前田は何をするか分からないので、ほっておけなかった”のだろう。
実際、安藤社長から受けた指示は、「手掛けて良いのは『BtoB』商品のみ」ということだけだった。エアボードはホームネットワークカンパニー(HNC)内の「シンフォニー」プロジェクトの下部組織に吸収された部隊の担当だった。HNCのシンフォニー担当だった若手ディビジョンカンパニーのプレジデントは、旧エアボード部隊の通信エンジニアが必要だっただけで、本音ではエアボードは続けるつもりはないのは明白であった。表向きは「次世代エアボードを開発する」と掲げていただけに、LFXプロジェクトでは表立った開発は進められなかったわけだ。
安藤社長直下のプロジェクトというものの、開発場所が大崎東テクノロジーセンターということもあり、開発内容を詳しくマネージメントされることはなかった。むしろ、気分一新、自由に進められたのだった。唯一、困ったのは、本社所属のプロジェクトであるため、ビジネスを進めるためのインフラが何もないことだった。それも、このプロジェクトの噂を聞きつけたかつての仲間が陰で助けてくれたおかげで、何とかなった。これも、良き時代のソニーが残っている部分といえよう。
出したのは五つの指示
引越しや事務的な作業などに追われ、実際に新たな職場である大崎東テクノロジーセンターで開発を開始したのは1カ月後の2002年10月1日。初日に、LFXプロジェクトの部下たちに以下の五つの指示を出した。
エムジェイアイ 代表取締役