20世紀は物質、エネルギー、情報の三階層モデルであることを前回論じた。21世紀は、この三階層の融合である。まずは、それぞれの階層の21世紀における展望を明らかにしたい。三階層の最上層、20世紀の申し子、情報から見て行こう。

 情報は独占、共有、公開と流れている。たとえば、特許。特別許可である。製法は一子相伝。独占することに旨みがあった。しかし、製法が漏れれば、本家や元祖の乱立となる。自分の良さや権利は他人が保障してくれなければ社会では意味を持たない。そこで、特許である。王様が許可した人だけが商品を作れるという制度である。許可するためには製法を知らなければならない。製法を知らなければ模倣を見破ることもできない。だから、特許は王様との情報共有が出発点である。

 もっとも、王様は裏切る。それは歴史が証明してきた。出しゃばる人、ケチな人を王様は嫌う。そこで、王様は自分に都合が良い人に特許を移し替えることになる。やはり、共有では危ない。そこで、公開特許という形式が定まった。現在、特許は公開され、王様と発明人だけでなく不特定多数の誰もが特許の内容を知っている。白日の下に晒すということであり、不正が働きにくい。

 ここまでは、電子計測器&システムガイドブック2001(日本電子機械工業会編)の巻頭に書かせていただいた内容である。この11年間、公開の流れは強まってきたと思う。情報公開法が1999年に成立し、政府の仕事は透明性が高まった。各社の製品の不具合情報も公開されている。逆に公開が免罪符になってきている印象を持っている。最近は、「ダダ漏れ」ともいわれるが、隠すべき情報まで漏洩している。情報は隠匿するより、公開する方が手間がかからない。そんな時代になってきたように思う。

 さて、感慨に耽っているだけでは編集者や読者の皆様に怒られるので、情報公開と流行りの「品格」とを絡めてお茶を濁そう。上品、下品という品格があるそうである。もちろん、中品もあるだろう。いずれも元は仏教用語であり、三品というものである。五蘊がそろった世界が中品、色のみが下品、識だけに解脱すると上品というものであるらしい。

 これでは、「Tech-On!」ではないと、またお叱りを受ける。そこで、物造りで三品を考え直してみる。下品は色、すなわち現物のみを考えるものである。これは基本であるが、自由度が少なすぎる。上品は識、すなわち空、解脱の世界である。解脱とは現物と離れることであり、それは仮想の世界でもある。つまり、シミュレーションである。ここでは、何でもできる。要件を定めれば善悪も明確になる。

 中品は現物から逃れない世界である。現物と仮想を組み合わせた製品開発であり、正に製造業でホットな話題である。エンジニア、悟ったらお終い。物造りでは中品が妥当な線かもしれない。

 以上、三品への理解を深めたところで話を戻し、情報との絡みである。下品とは独善であり、独占である。視野には自分しかない。中品とは共有である。流行りの、Win-Winの関係など、正に共有である。独占ではなく、相手を意識している。レベルは高い。これは中品である。もっとも、相手が見ていない所では下品になるかもしれない。また、共有も独占といえば、下品にもなる。

 上品とは不特定多数の目を意識して生活を営むことである。人の目が無い所で善行を積むことである。これは辛い。これは厳しい。ダダ漏れで社会問題となるケースが増えているが、これも公開の厳しさを表している。時代は公開を要求している。厳しい時代を迎えている。