自動車は、構成部品を相互に調整して製品ごとに最適設計しないと消費者が求める性能が出ない「インテグラル」(擦り合わせ)型のアーキテクチャを持った製品である。このため、部品設計の微妙な調整を行うことのできる「擦り合わせ能力」が必要であり、トヨタをはじめとする日本の自動車メーカーはこの「擦り合わせ能力」に優れていたから、自動車産業で高い競争力を持つに至った、という説が有力である。これに対して、トヨタはむしろ、「インテグラル」的な能力とは反対の概念である「モジュラー」(組み合わせ)的な能力が高いことが競争力の源泉である、と『実践 モジュラーデザイン~時代が求めていた新しい解』で強調されている。

 このモジュラー的な能力は設計と生産に分かれるが、設計にフォーカスしたものが「モジュラーデザイン」である。「モジュラーデザイン」とは、新製品を設計する際に、「将来設計する製品の全体を眺めて製造設備や用具を何種類かに定め、それらで造られる少量のモジュラー部品を準備しておいて、モジュラー部品を組み合わせて多様な製品を設計する、事前の一括的かつ計画的な設計である」(p.13)。このモジュラー部品は、図面レベルで事前に準備された部品である。

 これに対して、擦り合わせ設計は、新製品ごとに最適設計する「一品料理」のようなものだ。著者の日野三十四氏はこうした設計手法を「遮眼帯設計」と呼ぶ。競走馬が隣を見ないように、目の前の製品だけを見てより良い設計をしようと頑張る。これが、自動車のような擦りあわせ型の製品では、性能を引き出すのに適した手法である。設計者にとってもモチベーションの上がる手法ではあるが、いわゆる「擦り合わせ過剰」になる危険性も孕んでいる。固有の部品や生産設備を生んで、部品種類が増え、コストアップ要因になる。

 トヨタとは、この日本企業が陥りがちな「擦り合わせ過剰」を企業文化として徹底的に抑え込んできた企業であるといえそうだ。同社は2000年7月から「CCC21」というグループ企業を巻き込んだ原価低減活動を展開したが、スローガンは「車に合わせて部品を造るのではなく、部品に合わせて車を造る」であった。これはモジュラーデザインそのものであり、CCC21に限らず、「トヨタ自動車の戦略は、昔も、今も、将来もモジュール設計」(p.168)であり、「“隠れモジュラーデザイン”で成長してきたメーカーである」(p.8)。

 部品種類を減らすことだけが目的ならば、製品種類数やプラットフォーム数を減らせばよいが、そうなると顧客にとっての製品に対する魅力が薄れてしまう。製品の多様化を進めつつも、できる限り部品種類を減らしてコストダウンする手法がモジュラーデザインである。

 この「少ない部品種類で多様な製品を生み出す」尺度の一つが「MD指数」(モジュラーデザイン指数)というものだ。ある企業のあるジャンルの製品をすべてサンプリングし、その製品数で総部品点数(これ以上分解できない単品レベル)を割った値である。MD指数が小さいということは、製品が多様化している割には部品の共用化が進んでいることを意味する。

 トヨタはこのMD指数がとても低いのだそうだ。1984年時点のMD指数が37.7で1990年11月にはさらに32.4であった。これに対して、他の日本の自動車メーカーは200前後と桁違いに大きい。

 その背景となる理論の一つが、「自動車は、年産20万台未満の生産台数では、生産台数を上げるほどコストが下がるという逆比例関係を持つが、年間20~30万台以上生産してもコストは下がらない」という「マクシー・シルバーストーン曲線」である。この理論に基づいて、同社はプラットフォーム当たりの年間販売台数が20万台に達すると新しいプラットフォームを起こして、新しい顧客層を開拓してきた。

 同社は、この考え方を部品にまで適用したという。つまり、部品を共用化し量産規模を上げるとコストは下がるが、ある時点で下げ幅が緩くなる。そのタイミングで、擦り合わせ設計によって部品を新規に起こしたほうが、擦り合わせ型の製品にとっては良い特性が出せる。「モジュラー設計」と「擦り合わせ設計」というトレードオフの関係にあるものを、最適なバランスで最大の効果を引き出そうとしている、と言えるだろう。

 筆者が特に考えさせられたのは、こうしたモジュラーデザインを進めると、自動車メーカーの内製傾向が進むという点である。例えばトヨタは、1990年代後半から部品の共通化活動に取り組んだ結果、それまでの設計外注の部品メーカー依存型から、設計内製化・製造外注の自動車メーカー中心型に移行した(p.33)。これに対して、米ビッグスリーは、一周遅れで日本自動車メーカーの部品メーカー依存を真似して、社内部品部門を分社化し、外注化を進めたために、部品の共通化比率を下げてしまった。このことがその後の凋落の一因になったとする。

 このくだりを読んで筆者が思い出すのが、1990年代、日経メカニカル(日経ものづくりの前身)時代に欧米発の「自動車のモジュール化」を取材していて、欧米メーカーがコックピットモジュールやフロントエンドモジュールなどの物理的に大括りしたモジュールを設計まで含めて部品メーカーに外注することを志向していたことである。これに対し、日産自動車などを除いた日本メーカーの多くは部品統合化の効果があるモジュールのみを自動車メーカー主導で進めていたという違いがあった。欧米では、自動車メーカーよりも部品メーカーの人件費が低かったために、欧米メーカーのモジュール化は部品メーカーに外注すること自体に重きが置かれていた。しかし、このことが部品の種類数の増加や共通化比率の低下をもたらしたようだ。「モジュラーデザイン」の観点から見ると、「日本型モジュール」の方がむしろ先行していたといえるのかもしれない。

 ただし、こうした成功モデルが将来にわたって通用するとは限らない。モジュラーデザインの将来像として日野氏は、「調達のモジュール化」を挙げる。パソコンのように世界中から標準部品を買ってきて組み立てるモデルだ。「今後、すべての製品は必ずそうなる。そうでないと、地球が持たないからである。メーカーごとに大差のないエンジンやトランスミッションを個別に造っていることが許されない時代が来る」(p.166)。つまり、製品アークテクチャが、オープン・モジュラー型に変化する。そうなったときに、トヨタなど日本の自動車メーカーは競争力を維持しているだろうか。

 一つのヒントは、ここで見てきたように、トヨタが社内またはグループ内で培ってきた「モジュラーデザイン」の発展形であろう。トヨタは、「CCC21」活動で、これまでの部品共通化活動がモデル単位だったの対し、標準化を進めてモデルチェンジが一巡する8年間効果が出続けるようにした。さらには、モジュラーデザインにより標準化した部品173品目を自動車各社に販売しようとした(p.168)。まだ大きな流れにはなっていないが、標準部品をメーカーの壁を超えて流通させようという動きは少しずつ始まっている。

 つまり、トヨタ内のモジュラーデザインをオープンにして、デファクトスタンダードを取る---という道が考えられる。難しいのは、前述したように、ある段階までは自社内またはグループ内でモジュラーデザインを進めたほうが効果が高い点である。しかし、ある段階を過ぎると一気にオープン・モジュラー化が進むのは、半導体やデジタル家電で経験済みだ。ある種の飛躍が必要なことは間違いないが、日本の自動車メーカーがやらなくても、日野氏が言うように必然だとしたら、オープン化に熱心な中国メーカーや欧州の部品メーカーが主導権を持ってオープン・モジュラー化を進めるだろう。

 日野氏はこう書く(p.168)。「まだ当分、モジュラーデザインの将来展望まで描かなくてもよいかもしれないが、気がつかないうちにじわじわ進んでいって、気が付いたら時代の流れに取り残されたということのないようにしたい」。