「ほぅ」と思った。「実は今,メーカーが最もほしい人材が,本当に優れた技能を持つ『匠』と呼ばれる社員」であり、これからは「班長でありながら,部長級の給料をもらう匠が生まれる時代になる」とか書いてあったものだから。

 記事によれば、ある会合でスズキの鈴木修会長がそのような発言をされたのだという。匠とは、「例えば,自動車をぶつけると車体の鋼板が凹む。これを工具でうまく叩いてきれいに直せるような技能者」とのこと。「匠として自分の腕を磨いていく道が選べる時代」「大卒のホワイトカラーよりも,匠の方がよほど重用される時代」がやってきて、「そのとき初めて,日本で人づくりとものづくりが完成すると私は思っている」との主張である。

で、やっているか

 理由はよくわからないが、私は「匠の技」というものに対して深い思い入れと敬意を抱いている。簡単にいえば、大好きなのだ。で、「経費と手間がかかりすぎではないですかぁ」などとやんわりTech-On!編集長から苦言を呈されつつも、「あ、そういう短絡的な考え方はどうかなぁ、そもそもこのコラムの趣旨はだねぇ」など屁理屈を並べ立て、『技のココロ』などという匠の技をテーマとした連載をしぶとく続けさせていただいたりもしている。

 そんな自身の好みからいえば、鈴木会長の言は、「その通り」と膝を打ちたいような内容である。影響力のある企業トップの発言ということも、何とも頼もしい。ということで、一気に記事を読み終えた。すると、あにはからんや、頭の中に微妙な違和感がむくむくと頭をもたげ始めたのである。

 何に自分は引っかかっているのだろうか。そう自省してみてまず浮かんできたのは、一つの素朴な疑問である。「そう思うのであれば、なぜやらないのだろうか」ということだ。普通の経営者なら、時代の先が読めればその先駆者たらんとし、公言するより前にさっさと行動に移してしまうはずである。

 いや、「やらない」というのは思い込みにすぎない。もう部長級の給料をもらう匠の選定を終え、さらにはホワイトカラーより匠を尊重する人事制度刷新案の検討を進めているかもしれないではないか。そうであれば、この疑念は晴れる。で、違和感も霧散したかといえば、何だかそうでもない。疑問は次から次へと浮かんでくる。たとえば、「それをやれば、本当に匠と呼ばれる人は浮かばれるのだろうか」とか。