これに関連して丸川氏は,冒頭で紹介した著書『現代中国の産業~勃興する中国企業の強さと脆さ』の中で次のように書いている(本書p.229)。

 世界の自動車産業では,モジュール化,企業の枠を超えたプラットフォームやエンジンの共通化など,垂直分裂へ向かう動きが見られる。これらの試みは,基幹部分の開発費を共通化によって抑制しながら,車種の多様性を増やすことを目的としている。今後,ハイブリッド車や燃料電池車などへの転換が進むとすれば,基幹部分の開発費はますます膨れあがる。かつてはそうした新技術を自ら開発できる力を持ったメーカーだけが生き残るという予測もあった。だが,売れる自動車を作る力と,核心技術を開発する力は必ずしも一致しない。そうなると,最終製品で競争力のあるメーカーが技術力のあるメーカーから基幹部品を購入する垂直分裂構造が世界の自動車産業で一つの潮流になる可能性もある。つまり,世界のほうが,中国自動車産業の後進的だといわれていた部分に似てくるかもしれないのである。中国のオープンな垂直分裂の世界から何が飛び出すか,これからも注視したい。

 講演と合わせてこれを読んで思ったのは,中国自身が世界を変えることはできないが,世界が中国のあり方に学んで自らを変える可能性はあるのではないか,ということである。

誰のためのクルマか?

 さて,最後に丸川氏の講演で考えさせられたのが,中国の民族系自動車メーカーは外資系メーカーが造ってくれない,または見逃している,中国の国情に合った自動車を開発すべきではないのか,という指摘である。同氏によると,中国の農村部では農業用の低速トラックやトラクターが人員輸送用として使われている事故が多発し,この1-5月には1877人が死亡したという。このため政府はこれらの業務用の車両を人員輸送用として使うことを禁止する通達を出したそうだが,代わる交通手段がないために守られる可能性は少ない。

 中国の民族系メーカーは,裕福になった層に向けて,欧米や日本メーカーの高級車を模擬して排気量の大きい車種を開発する傾向が強いが,本来こうした農村部の輸送ニーズにこたえるクルマをつくるべきではないか,というのである。また,丸川氏は,中国の自動車市場は安いガソリン価格などを原因として「歪んでいる」と見る。そして,外資系自動車メーカーも,こうした歪んだ市場につけ込む戦略をとるのではなく,中国の国情にあったクルマづくりに積極的に参加するべきではないかという。

 例えば,インドのTata Motors社は28万円カー「nano」を発表して注目を浴びたが,同社会長兼CEOのRatan Tata氏は,「nano」開発の目的はインドの一般的な国民がバイクに家族4人が乗っているような危険な状況を解消することだと語って,国民の支持を集めている(「nano」について書いた以前のコラム)。

 これを聞いて思ったのは,中国やインドに限らず,本来自動車メーカーは何のために自動車を開発するべきなのか,という「動機」を考えることの大切さである。貧しい人々含めて様々なユーザーのニーズにどう応え,それを自らのビジネスのベクトルとどう合わせていけばいいのか---。自動車産業はその問いを投げかけられているのかもしれない。