この1月上旬,インド・ニューデリー郊外にある日系自動車メーカーの工場を見学した後でクルマで市内のホテルに戻る途中のことである。中心部に近づくにつれてクルマが増えてきて,ついにひどい渋滞に巻き込まれた。交差点では,車線などお構いなしにギリギリ通れる隙間があれば突っ込んでくるので,クルマで埋め尽くされた状態になった。

 すると,このクルマとクルマの狭い隙間を縫うようにして物売りの人々がやってくる。ミネラルウオーター,ジュース,新聞,花・・・。さらには,携帯電話機のような電気製品まで売っている。大人だけでなく,子供も売りに来る。そういえば,タイのバンコク,マレーシアのクアラルンプール,インドネシアのジャカルタでも同じような感じだった,などと思い出していると,「危ない!」と思わず声を出してしまうほどの光景を目にした。

渋滞の真っ只中で大道芸をする少女

 7,8歳くらいの少女がクルマとクルマのわずかな空間で突然,バク転を始めたのである。次に金属の輪を取り出して輪くぐりを始めた。終わると,ドライバー達に手を差し出し,歌うような甲高い声で「見物料」を要求して回った。渋滞とはいってもクルマはいつ動き出すか分からない。間一髪のタイミングを狙った危険な大道芸であった。ニューデリーでは当たり前の光景なのだろうか,ドライバー達は平然としている。

 インドでは,4輪車だけなく,オート三輪,バイク,自転車など様々な交通手段が行き交う混合交通が一般的だと言われる。そうした混沌(こんとん)とした中を人々はすり抜けながら道路を渡り,物売りや大道芸をする人々が走り回っている(今回は見なかったが牛も相変わらず悠々と歩いているらしい)。

 そうした状況は,筆者が訪れた30年前(昔のインド旅行について書いた以前のコラム)と比べても変わらないようである。ただし,4輪車やバイクの比率が増えた分だけ,全体の流れが速くなったようだ。ニューデリーではちょっと大きな道路となると,外国人が横断することは難しい(インドの交通事情について触れたフォトレポート)。

インドの道路は危険で一杯

 4輪車やバイクが増えて流れが早くなった分,交通事故も増えているという。今回,タクシーに数回乗っただけでも,ヒヤリとする場面に何回も出くわした。特に,信号のない交差点では,曲がるクルマ同士が間一髪のタイミングですれ違ったりした。おたがいクラクションを鳴らすのだが,どちらも譲るわけではないのであまり意味はないように見えた。実際,同モーターショーを取材に来たあるジャーナリストは,それほど速度は出ていなかったので怪我こそしなかったものの,乗ったクルマが衝突事故を起こしてしまった,と言っていた。同乗した外国人同士で,「ぶつかりそうでいて,インドのドライバーは慣れているから案外ぶつからないんだよね」などと話している矢先にドーンと衝突してしまったのだという。

図1 バイク二人乗りの光景
図1 バイク二人乗りの光景 (画像のクリックで拡大)

 それと,道路を見ていて危ないと思ったのが,バイクや自転車の二人乗りである。よく見かけたのが,夫婦など男女カップルの二人乗りで,女性がサリー姿の場合横向きに座って乗っている(図1)。今回の短期間の訪問では見なかったが,前や後ろに子供を乗せて3人乗りや4人乗りをするケースもあるらしい。それはかなり危険な状況のようである。

 バイクの3人乗りや4人乗りの危険性について,筆者は1月10日,28万円カー「nano」の発表会で,インドTata Motors社会長兼CEOのRatan Tata氏,その人自身の言葉で聞いた。同氏は,スライドでインドの一般的な国民の移動手段が自転車,バイク,3輪車と変遷してきたことを説明するとともに,バイクに家族4人が乗っている写真を紹介し,こうした危険な状況を解消するために開発したのだ,と強調したのである(nano発表のニュース記事)。

「nano」開発にかけるRatan Tataの執念

 「nano」開発のきっかけは,今から約4年前。2003年8月のある雨の日だったという。Tata氏は仕事を終わり,ムンバイの事務所を後にしてクルマを走らせていた。すると,雨でスリップしそうな状況の中,バイクに子供を抱いて乗っていた夫婦連れを見て,「こうした危ない状況をなんとかしなければならない」と同氏は決意したのだそうだ。同氏は次の日すぐさま,現社長のRavi Kant氏に危険なバイク利用者を助けるようなクルマを開発できないか,ともちかけたのだという。

 「nano」の開発方針は明確であった。第一に,大多数が貧しいインド国民ができる限り多く購入できるように10万ルピー以下とすること。10万ルピーがインドの言葉で「1ラーク」というキリのよい数字であったために,開発目標としては分かりやすかった。メディアなどへのアピールの面でも効果的だった。第二に,環境と安全面の基準をクリアすること。つまり,安全,環境面で妥協しないしっかりしたクルマでありながら,10万ルピーを切るという非常に高いハードルを目標にしたのであった。

 あれから4年---。Tata氏は発表会の席上,エアコンやラジオなどの機能をそぎ落としたスタンダードバージョンで,VAT(付加価値税)と輸送費を除いて1ラークを達成したとし,「約束は約束だ」(That's because promise is promise.)と語ったのである。抑揚のない静かな語り口ながら,強い意志を感じさせるスピーチであった。

 またその言葉には,この4年間,世界の自動車業界の人々からバカにされ続けた,という忸怩(じくじ)たる思いが込められているようでもあった。後のメディアとのインタビューで同氏は,「あざ笑わなかったのは日産・ルノーのカルロス・ゴーン氏だけだった」(In all fairness,Carlos Ghosn has been the only person in the automotive area who has not scoffed at this.=THE TIMES OF INDIA 1月11日付け)と語っている。

 原油や材料費が高騰する中で低コスト化を進める作業は困難を極めたようである。もともと2輪車の安全性を高めようという発想だったために,2輪車の部品を改良して4輪車向けに開発しようと,アジア諸国の自動車産業に呼びかけたが,反応はなく,独自にゼロから開発することにしたのだという。最初は少人数でスタートし,最後は500人の開発スタッフが参加し,日本のデンソーやドイツBosch社など大手サプライヤーを巻き込んだその開発の経緯は,開発目標に対して皆が一致団結して突き進む壮大な開発ストーリーであった。そのストーリーには,日本人の技術の感性に近いものを感じるのである。

「nano」に見るTataのオリジナリティとは