承前

 猪瀬氏が示唆されていたように(前回記事参照)、戦後日本がスムーズに米国にキャッチアップできた理由は、(1)戦前の日米の技術力が、ある分野では実は肉薄していたということ、そして(2)戦後、覇権国の米国がフォロワーの日本から科学者を招いて惜しみなく彼らの技術とシステムを教えたということ、この2点にあると私は思う。

 (2)に関してさらに言えば、とりわけ1947年にAT&Tベル研究所でトランジスタが発明されたあと、米国はその技術のみならず、ベル研という20世紀最大のイノベーション・システムまでをも、たいへんフェアに日本に伝授した。こうして町工場ソニーはトランジスタで成功を収めてリーディング・カンパニーとなり、日本のリーディング・カンパニーは、次々に中央研究所を設立してイノベーションに取り組んだ。たとえば電電公社(のちのNTT)電気通信研究所は、その研究運営の方法から「セルフサービス・ルーム」 注1)まで、見事なまでにベル研を模倣していた。

注1)文房具からさまざまな共用の計測器までがストックしてあり、自由に取りに行くことができる部屋。

 しかし、単に研究の方法論を真似たり生産方式を真似たりしても、それだけではこれほど短期間に当該分野で米国に追いつき米国を追い越すまでにはならないだろう。いったい何が鍵だったのだろうか。

 もっとも重要な鍵は、リーディング・カンパニーが、理工学系大学院(修士)出身者のなかでも最優秀な人材を集積させて技術者に仕立てたことだったと私は考える。なぜそれが鍵なのか。それは、トランジスタなど電子・光デバイスの持つパラダイム破壊性の所以にほかならない。

 電子・光デバイスという技術を成立させているパラダイムは、量子力学である。この量子力学から派生する科学には大きく分けて二つがある。素粒子物理学と物性物理学である。この物性物理学がトランジスタの原理の根源的理解につながって半導体産業を産み落とした。

  この量子力学と半導体産業の関係性については、おもしろいエピソードがある。

 私が担当する「イノベーションと技術経営」という教育コースの中で、私は半導体・デバイス産業のイノベーション・プロセスを教えている。拙著「イノベーション 破壊と共鳴」で詳しく書いたように、それは典型的な「パラダイム破壊型イノベーション」である以上、初等的な物性物理学を教えなくてはA→S→P→A*なるプロセスの本質的な理解ができない。それは取りも直さず量子力学の根本思想を教えることである。

 それを聞きつけた他の教授(専門は経済学)がやってきて「なぜ量子力学を授業のなかでやるのか」と言う。「量子力学なんて、位置を決めれば速さが分からなくなる、とか、ものが波でできているとかいう現実離れしたことを論ずる話でしょう。それがなぜ産業とか社会とかと関連しているんですか」。