「勤勉革命」の担い手は農民・商人

 また,農民や商人と武士の間にあるこうした違いは,農民や商人は勤勉に働くことが所得の向上と富の蓄積に直接的に結びついていたが,武士は勤勉に働くことが地位向上に結びつかない,という事情にも起因しているとみる。武士の位や石高は世襲で決まっており,いくら勤勉に働いても出世できる可能性は少なかった。出世できるかどうかは仕事で成果を出すというよりも,派閥争いや運で決まってしまう。

 江戸時代には,欧州の産業革命にも並び称される「勤勉革命」が起きたという説があるが(これに関連する以前のコラム),これは武士ではなく,農民や商人の世界で起こっていたことだ,ということのようである。

 背景には,江戸時代も後期になって,戦がない平和な時代が長く続いて,武士本来の仕事(=戦争)がますます少なくなっていたという事情があった。武士階級は実質的には失業者集団になって次第に貧困化する中で,組織を維持するために持ち込まれたのが,藩主や藩に忠誠を誓う集団主義的な価値観や,「武士は食わねど高楊枝」といった儒教的でストイックなモラルであった。

現代に「復活」する武士の集団的価値観

 明治維新をもって武士階級は消滅したが,江戸時代に培われた集団的な価値観は別の形で復活を遂げる。野口氏は,それがもっとも顕在化したのが,第2次世界大戦の戦時下だったとし,そのときに形成された社会・経済体制を「1940年体制」と名付けている。そして戦争は終わっても,会社組織のために働く「会社人間」の価値観として日本社会に影響を与えているとみる。

 実際,高度成長期には,集団的価値観は大きな強みとして働いたのである。ここからは筆者の推測であるが,理由として考えられるのは,産業資本主義と集団的価値観との相性がよかったためであろう。産業資本主義下では,人間の衣食住といった基本的なニーズに基づいて,高品質かつ均質で安価な製品が求められた。消費者のニーズははっきりしていて,より安く品質の良いテレビやクルマを出せば,買ってくれた。そのために,均質な製品を大量生産する必要があった。今では差異化した製品を望む消費者が増えているといわれるが,当時は皆と同じ均質な製品を持つことはむしろ歓迎すべき時代であった。

 均質な製品を大量生産する状況で日本が強みを発揮したのは,江戸時代から日本人の特性としてあるチームワークのおかげだ,といったことがよく言われる。これまでの文脈から言うと,それは江戸時代といっても,武士階級で培われた集団的価値観の影響が大きい,ということのようである(もちろん,町民の間に培われた「匠の技」の伝承の効果もあるとは思われるが)。

 個人のやりがいといった側面を見ても,産業資本主義全盛の高度成長期には個人の努力がポストや報酬という目に見える形で報いられた。経済は右肩上がりの成長を続け,会社の規模はどんどん大きくなり,ポストの数は増え続けた。日本人は集団的価値観に基づく「会社人間」であることに希望をもって邁進したのである。