「ものづくり」の起源を考える

 では,そうした「ものづくりのDNA」なるものは歴史的にどのようにして生まれてきたのだろうか――。それを考えるために,少し回り道になるかもしれないが,そもそも「ものづくり」の起源はどこにあるのか,ということを考えてみたい。

 その取り掛かりとしたいのが,元早稲田大学教授で国際日本文化研究センター教授の川勝平太氏の説である。同氏は,中世後期から近世期に注目する。このころ,旧アジア文明圏から西ヨーロッパと日本に様々な文物が大量に流入していた。ところが,その対価として払ってきた貴金属や銅が足りなくなってきて,西ヨーロッパや日本に危機感が生まれた。川勝氏は,これが転機だったとし,それに続いて次のように論じている。

「その危機感から何が生じたか。最終解決策は輸入品を自給生産する以外にありません。私は,この時に人類史上初めて,流通や商業ではなく,物づくりに従事すること,すなわち生産を大切な第一の価値とする社会がユーラシア大陸の両端に出現したのだと考えています(川勝平太『富国有徳論』中公文庫など参照)。

日本と西ヨーロッパの類似点と相違点

 西ヨーロッパと日本で同時期に同じように始まった「ものづくり」。しかし,その様式はかなり違った。

 西ヨーロッパでは,広大な土地に対して労働力が少ないので,労働を節約して労働の生産性を上げるために工夫が凝らされた。つまり工場設備を拡充し,新技術を開発していった。人力を馬力に変え,さらには蒸気機関を発明することで,「産業革命」を起こした。

 一方の日本では,狭い土地に対して労働力を大量に投入して,土地の生産性を上げたのである。江戸時代には西ヨーロッパとは反対に馬力から人力への転換が見られるという。

 その結果,日本と西ヨーロッパでは勤労観も変わったのだと川勝氏は論じる。西ヨーロッパでは,働かない工夫をすることが善であり,遊んで暮らす貴族のような生活に高い価値を置くようになった。一方,日本では働けば働くほどその見返りがあったために,勤勉が善だという思想が生まれてきた,というのである。つまり,働くことに喜びを見出す考え方が定着していったのである。

 西ヨーロッパの産業革命は,アメリカ大陸という新天地に伝わり,無尽蔵の土地や資源を開発することが善とされた。これが,常に新しいフロンティアを求める「近代世界システム」を作り上げた。この流れに乗って,ついにペリーが日本にまでやってきて,日本は明治維新をもってこの「近代世界システム」への参加を決意するに至る。

近代世界システムの中で密かに息づく?「勤勉思想」

 ここからは筆者の想像であるが,日本が近代世界システムに入って一生懸命に欧米のやり方を模倣しても,心理学で言う「無意識」のように,心の奥底では「勤勉革命」で培った思想がところどころに顔を出すのではないか。

 勤勉革命の中で培われたものの一つが「ものづくり力のDNA」であり,日本の製造業が様々な分野や時代の中で,高い競争力を付けた理由を探してみると,このDNAをうまく生かしているといえる。例えば,そのDNAをうまく引き出したのが米国人統計学者のWilliam Edwards Deming博士(以下,デミング氏)である。同氏は米国ではなじみにくかった品質管理手法の「TQM」(統合品質管理:total quality management)を日本に紹介した。これが,日本の製造業が高い生産力を持つに至るきっかけになったという指摘がある(本コラムの以前の記事)。

 また冒頭で紹介した日本のボード業界に見るように,「もの」をつくる喜びについても,歴史的に日本人がDNAとして持っていた勤勉を重んじる考え方をうまく引き出して,社員のやる気につなげている,と言えるかもしれない。

 ただしここで気をつけなければいけないと思うのは,これまで考えてきたタイプの「ものづくりの喜び」は,一人の人間が全体を見渡せるような,比較的小規模な組織や技術分野で発現されやすいのではないか,ということである。全体が見渡しやすいボード業界や加工業など,業界を形作る企業の規模がそれほど大きくない世界ではその強みを発揮しやすい。

「ものづくりの喜び」が通用する分野,しない分野

 一方,半導体産業のように大規模化して,全体を見渡すことが難しくなると,日本が培ってきた「ものづくり力」ではなかなか太刀打ちできず,ものづくりの喜びを味わうどころではない,ということになる。そうした分野では,これまでの伝統をかなぐり捨ててでも欧米のやり方に合わせる必要があるようである。

 また同じ製品・技術分野でも,進化の度合いや取り巻く環境によって,「ものをつくる喜び」が通用するかしないかはダイナミックに変化する。「伝統」やDNAを活かす分野やタイミングをどう把握するか,その舵取りの妙が問われる,ということかもしれない。