書きたい題材を記録しておく頁が筆者の手帳にはある。いくつかの雑誌やWebサイトの仕事を掛け持ちしているため、媒体ごとに頁を用意しておき、「この話は日経ビジネス向き、あの話は日経コンピュータ向き」と思いついた時、忘れないようにそれぞれの頁に書いておく。こうした題材はできる限り早く原稿にすべきなのだが、物によってはなかなか書けず、手帳に記録してから実際の記事に仕上げるまで数年かかってしまうこともあれば、最後まで記事にならない場合もある。

 当然、Tech-On!向けの頁もある。2007年に記録した題材は何かとその頁を見ると、筆頭に「技術者の心得 山口瞳」とあり、その次に「大和」、三番目に「記者はプロか」と書いてあった。この三番目の題材は本連載の第1回目に書いたものである。二番目の大和とは戦艦大和の話なのだが、戦争を取り上げるのは非常に難しい。Tech-On!に2006年9月から硫黄島戦について書き出したが難航し、書き上げるまでに1年半近くかかってしまった(「史上最悪のプロジェクトに挑む~硫黄島決戦と栗林中将から学ぶ」)。

 硫黄島戦に関する原稿を書く際、かなり以前に買っておいた『戦艦大和ノ最期』(吉田満著、講談社学芸文庫)を読んだ。日米両軍の考え方、取り組み方の決定的違いがこの本にも明記されており、Tech-On!読者にぜひとも紹介したかったのだが、硫黄島戦について書くだけで精一杯で、大和については手帳に記すだけに留まった。本欄で挑戦したいものの、硫黄島関連の連載時のように記事公開の日程が定まらなくなる危険があるので、取り組むのはもう少し先にしたい。

 そこで今回はTech-On!向け題材の筆頭にあった「技術者の心得 山口瞳」について書く。と言っても、山口瞳氏が技術者の心得を書いた訳ではない。同氏は朝日新聞に連載したコラムの中で、歌舞伎役者中村翫右衛門の「演技心覚え」を紹介した。筆者は一読して「これはそのまま技術者の心得として読み替えられる」と思い、手帳に書いておいた。

 その文章は2006年に出版された『衣食足りて』(河出書房新社)という単行本にある。山口氏は1995年に亡くなったが、文庫を含め単行本はそれ以降も刊行され続けている。特にここ数年、河出書房新社が単行本に未収録の文章を発掘しては本にまとめ出版しており、『衣食足りて』はそうした「単行本未収録エッセイ集」の一冊である。