売り方が贋物を作る

 これらは大きな変化に便乗した手口だが、「プチ商機」はいつでもあるようだ。何年か前、父親に「何とか端子がついていないテレビはもうすぐ視れなくなるのか?」と聞かれたことがある。寝室のテレビを買い換えようと店に入り「安いのでかまわないのだが」と言ったところ、販売員に上位機種を勧められ、そう言われたらしい。何とか端子が何なのかよくわからなかったけど「とりあえず無視していいよ」と答えたのだが、ちょっと父は不審そうであった。私に信用がないということを差し引いて考えたとしても、販売員の言い分には相当な説得力があるということだろう。

 こうした販売手法が人をイヤな気分にさせるのは、「顧客が情報弱者であることに付け込んだ」ものだからだと思う。おれおれ詐欺から霊感商法、リフォーム詐欺まで、弱者からその弱みに乗じて金品を剥がし取るかのような手口はあまたあるが、それらはどれも「すごくイヤな感じ」のものだ。一方、商品としてのテレビというのは、相当に真面目なものだと思う。それが、このような「イメージがすこぶる悪い」売り方をされてしまう。そのことが残念でならない。

 それはたとえば、古美術品の世界で横行する「贋物」に似ている。もちろん、始めから贋物として作られたものもあるけれども、作品そのものは「真面目な」ものであることがしばしばある。近世に作られたものをわざと汚し、古い箱に入れ「桃山時代の作品」とか言って売る。こうして真面目な作品は、「売り方」という人の行為によって何ともイヤな「贋物」に変身してしまうのだ。

残念の証拠

 家電製品の「売り方」ということに関して、残念に思っていることがもう一つある。ビデオカメラのCMなどで「結婚式で花嫁が幼かったころの思い出の映像を再生してみせる」みたいなシーンがよく流されていたことである。それをみて、「娘のために」と多くの両親、祖父母がビデオカメラを買ったことだろう。けれど、実際に20年も前の映像を再生するということは、結構大変なことなのである。その間に、記録媒体や記録方式が何度も変更になるからだ。

 つい最近、そのことを改めて思い知らされた。妻の実家の大掃除を手伝っていたのだが、その折に10年以上も開けたことのなさそうなダンボールの中から、大量の映像媒体が発見されたのだ。一番古いものは銀塩の8ミリフィルム。ざーっとみてみると、子供が鉄棒をしている。どうやら妻の幼時の映像らしい。もちろん、8ミリの映写機などとっくの昔に捨てていて、現状では映写することができない。だから結局、捨てた。

 ほかのダンボールからも、VHS、VHS-Cから8ミリビデオまで、様々な方式のテープ媒体がざくざくと出てきた。けれど、残念なことにこうした媒体の再生装置はすでにないのである。いや、新しもの好きだった義父が折々に新調したらしく、各世代のビデオカメラがごろごろ発見された。けど、どれも湿度の高い地下の倉庫に長年保存されていたせいか動作しない。一部に動作しそうなものもあったのだが、電池やACアダプタが見当たらないとかケーブルがないとかで、結局どれも使える状況にはなかった。「誰かに借りれば視れるし」という意見も出たが、このダンボール何箱にもおよぶメディアを全部チェックし、見出しをつけて「視聴可能な状態」に整理するのはほとんど不可能である。だから結局、媒体も機器もまとめて捨てることにした。

 その膨大なゴミの山を見ていて、ふと思いついた…(次のページへ