その膨大なゴミの山を見ていて、ふと思いついた。結局、ビデオカメラの楽しさは「撮る」という行為で完結しているものなのかもと。それをあとで再生してもいいけど、しなくてもよい。そうであれば、義父にとってこのゴミの山は「残念の証拠」ではなく「楽しんだ証拠」なのである。けれど、同じゴミの山を前に義母は、すごく残念そうにこう言っていた。「これにいったいいくら(おカネを)使ったのかしら。どうせ買うならもう少し考えて、残るものにして欲しかったわ」。私にはビデオカメラの台数とメディアの本数からおおよその支払額がすぐに見積もれたけど、残念さが増すだけだろうと思い、言うのをやめた。

 まあ、それも過去のことになるだろう。これからは映像データもHDDに記録しておくことになる。データ・フォーマットは時代によって変わるかもしれないが、変換ソフトでいかようにもなる。膨大な映像データから所望の映像を検索することも、よほど簡単になってきた。過去のいかなる映像データも家庭で、いつでも簡単に視聴できるようになるだろう。

なぜソニーじゃない?

 とりあえず、それを実現してくれるのがパソコンなのだが、最近、そのパソコンでも実に残念な出来事があった。アップルが「世界最薄」と胸を張りMacBook Airを発売したことだ。

 MacBook Airが残念な商品であるということでは全くない。逆に、市場で熱烈に支持されている商品だからこそ残念だと思うのである。「軽薄短小化」は、トランジスタラジオの時代からずーっと日本メーカーの十八番(オハコ)だったはず。なのに、なぜ、ソニーでも東芝でもなくアップルなのか。これが残念でならない。

 10年近く前になるが、ソニーの最新鋭ノートパソコン「VAIO」を携えて米国へ展示会の取材に出かけたことがあった。一通り取材を済ませたら、ニュース記事にまとめ、すぐざま社に送らなければならない。ということで、プレスルームでカチャカチャとキーを打っていると、通りかかる地元記者、外国人記者などがみな私の後ろで一瞬足を止め、画面をちらちら見たりしているようなのである。「何だよ、カンニングすんなよな」とか思ったけど書いているのは日本語の記事である。じゃあ何だ?そんなに日本人が珍しいのか?それとも背中に何かついているのか?とか思案していたら、一人がたまらず話しかけてきた。

 「そのパソコンは何だ」という。「え?VAIOだけど」と答えると「どこの製品なんだ」と食い下がる。「ソニーの新製品だよ」と教えると、「トレビアン!」とか大げさな身振りで叫び、何度も頷きながら去っていった。見渡してみると、確かにそのノートパソコンは周囲の人たちが使っているものに比べて圧倒的にうすく、カッコイイ。ボディーの薄紫色もやたら目立っている。みな画面を覗き見していたわけでなく、パソコンに目を奪われていたのである。ああ、ソニーのある日本に生まれてよかったと、そのとき思った。

喧嘩をすれば薄くなるか

 ではなぜ当時、そこまで突出した薄さを実現できたのか。ソニーでデザイン部門を統括されていた黒木靖夫氏は、かつてこう語っておられた。「設計担当者に『できる限り薄くしてほしい』などと要求をだしても、画期的に薄いものなどできない。だからソニーでは、デザイナーが厚みを決めるのです。5.5ミリとか」。すると、必ず設計担当者から「そんなに薄くはできない」というクレームが来る。それをデザイナーは「いやできるはず」と説き伏せるわけだ。

 そうやって、具体的な数値を掲げ、掲げたからには…(次のページへ