その言葉を初めて知ったのは、大学生のときだった。教養課程で「日本思想史」という、理系学部にしては極めてマイナーな授業を選択したのだが、担当講師は西田税の研究家で、授業の中身は西田税の先生に当たる、昭和初期の著名な思想化・社会運動家である北一輝を主役としたものだった。そんなことがキッカケで、北一輝の著作や彼に関する評論などを読み漁った時期がある。そのなかで、彼が企業スキャンダルを見つけては「(雑誌、新聞などで)公にするぞ」と経営者を脅し、革命の活動資金を集めていたことを知った。ある本では、それをもって「北一輝こそブラックジャーナリストの嚆矢(こうし)である」と断じていた。

 「観世音首(こうべ)を囘(めぐ)らせば則ち夜叉王」とは、彼が著作の中に刻した言葉である。その表層だけを汲み取って模倣し、欺瞞(ぎまん)と恫喝(どうかつ)によって金銭を手にするブラックジャーナリストが昭和初期という動乱の時代にあまた誕生し、跋扈(ばっこ)した。

自業自得

 その歴史的事実を反面教師とし、ほとんどのメディアは「反ブラックジャーナリズム」を暗黙の原則としている。けれど、それとある面似たようなことを、そうとは意識せずにやってきた例もあるような気がしないではない。

 ある家電メーカーを取材したときの話である。対応いただいたのは同社の技術部長さんで、取材場所は大きなショールームを備えた迎賓館的な建物の中にある小さな会議室だった。ところが、取材が終了しないうちに「団体の来客が来てしまったので、しばし休憩させてもらえませんか」ということになったのである。エントランスに出てみると、何だか偉そうな方々がぞろぞろ豪華なバスから降りてきたのが見えた。そこに美しい女性ガイドがぴったりと寄り沿い、営業スタッフは地面を舐めるほど深々と頭を下げて彼らを出迎えている。何だかメーカーの雰囲気に似つかわしくない、異様な光景だった。

 後でくだんの技術部長さんに聞いてみたら、よくあることなのだという。訪れるのは流通関係の方、そしてAV(オーディオ・ビジュアル)機器などの評論家の方々である。特に彼らが気をつかうのが、メディアに登場する評論家の方たち。もちろん、盆暮れの付け届けは怠らない。新製品が出ればすぐに送る。さらには、こうしてショールームに招待して懇切丁寧に説明し、ご批判を乞うてありがたく拝聴し、もちろんお土産も持たせ、夜は十分に接待する。そんな苦労を一通り愚痴たあと、こう自嘲気味に付け加えた。「さっき、ガイドを務めていたきれいな女性がたくさんいたでしょ? 彼女たちはいわば接待要員として、私たち社員とは別枠で採用されているんですよ。私なんかよりずっと高給で」。

 すべての評論家がそうであったわけではないだろう。だが多くの証言によれば、一部にはさまざまな便宜や接待を受けつつ、それが少しでも粗略になれば手厳しく新製品をケナすという不心得な人たちがいたようである。逆に喜んで企業に買われ、金額次第で褒め方の強弱を決めるという御用評論家のような方もいたと聞く。ある方はこう指摘されていた。

「そんな人に限って、周りからペコペコされるもんだから自分は大先生なんだと勘違いしているんですよね。でも、やっていることは恐喝ですよ。そんな人たちに毒されたAV機器雑誌はめっきり面白くなくなって、多くが消えていった。その結果、評論家の方たちも仕事を失ったわけです。自業自得でしょうけど」

最後の一歩

 以前このコラムで、こんな話を紹介させていただいたことがある。例えば洋服の製造コストを抑えるために、ちょっとだけ生地の質を落とす。でも、売り上げは落ちない。今度は縫製を少し簡略化してみる。それでも売り上げは変わらない。そうやって質を少しずつ落としていくと、あるとき突然「最近質が落ちたな」と客は気付き、ガタっと売り上げが落ちるのだという。

 一歩進んで大丈夫、もう一歩進んでも大丈夫、それを続けていれば、いつか必ず一線を踏み出してまっさかさまに崖から落ちてしまう。白洲正子さんは言った。「名人は危うきに遊ぶ」と。つまり、名人・達人でない限り、危うきに遊ぶことはできないのである。一年の計ということで、再度このことを胆に命じたいと思う。

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