THE WALL STREET JOURNALの東京特派員の方が教えてくれた話である。彼女が日本に来て一番びっくりしたのは、多くの人たちがいまだに、番組表にある時間に合わせてテレビの前に座って番組を視ているということだった。米国ではTiVoのように好みの番組を自動で録画するハードディスク録画機が普及しているので、ご主人さまがいつも視ている番組、好きそうな番組は、予約しなくても録画しておいてくれる。だから、番組を生で視ることは少なく、録画された番組をオンデマンドで視ることが日常になっているのだという。そして、「今でも米国人はテレビが大好き」なんだとか。

 なぜ米国ではTiVoが普及し、日本ではそうならなかったのか。そのことがいたく思索癖を刺激する。そのTiVoは、着々とインターネットとの連携を深めているようだ。個人的にはその行方にもとても興味をもっている。TiVoというアダプタを介して、米国はシームレスに「放送からネットへ」という移行を果たしてしまうのだろうか、などと考えてみるのだが、どんどん脇道にそれて行きそうなのでまたの機会にしたい。

すべて売る

 で、日本のテレビに話を戻せば、広告収入減という事実があり、同時にテレビ離れが進行しているようにみえる。それが大事件に思えるのはテレビがメディアを象徴する存在であるからで、それはそのまま旧来からあるメディアすべてに言えることであろう。もちろん、弊社が深く関わっている雑誌も例外ではない。日本ABC協会がまとめた雑誌販売部数報告レポートをみても、雑誌の販売部数はじりじりと下がり続けている。特に「週刊現代」や「週刊ポスト」などの総合週刊誌で部数減が著しい。

 同じことである。収入が減れば編集現場には「もっと低予算でもっと部数の取れる誌面を」との要求が突きつけられ、営業部隊には「もっと広告主が喜ぶ仕掛けを」という指令が下る。会社全体の態勢も変わる。あるメディア企業では、編集長の職に編集部出身者が就くのは過去のことになり、今や多くの媒体でその任にあるのは広告営業出身者であるという。別の出版社のある総合情報誌の関係者からは、「表紙以外はすべて売ることにした」という話も聞いた。

 「すべて売る」というのは分かりにくい表現だが、要するに全ページが広告ということである。もちろん、純粋な広告ページと記事ページがあるが、このうち記事ページも売る、つまり広告主から費用をいただいて作る「タイアップ記事」「広告企画記事」にしてしまうのである。

 このタイアップという手法は、ファッション誌などではかなり以前から一般的になっていたもののようだ。10年以上前になるが、ある有名女性誌の編集長からそのへんの内情をくわしく聞く機会があった。例えば、ある海外のバック・メーカーから「うちの商品の認知度とイメージを上げたいのだが」とのオファーが来る。それを受けてファッション誌では大特集記事を提案、「ではそれでいきましょう」ということになり、特集チームは全員、「アゴアシつき(旅費、宿泊費、食費は依頼主の持ち)」で海外取材出張に出かける。もちろん、お土産ももらったりする。こうして記事を仕上げたら、さらに編集費だか広告費だか名目は知らないが、依頼主から料金をいただくのである。「す、すごいですねぇ」と目を丸くしていると、「そんなの普通でしょ」と軽くあしらわれてしまった。

 もちろん、すべての雑誌が同じというわけではない。新聞系出版社で業界向け情報誌を担当していた私などは、先輩から「取材先からはテレホンカード1枚でももらってはならない、おごられてしまったら必ずおごって借りを返せ、それがジャーナリストの矜持(きょうじ)である」などという訓示を聞かされて育った。だからこの話を聞いたときは、本当にびっくりした。同じ業界でこれほど考え方やビジネスモデルが違うのかと。ただ、業界全体でみれば、程度の差こそあれ、「すべて売ることに決めた」某誌のように、じりじりとタイアップを増やす方向にあるのではと思う。

喫茶店はない

 それをけしからんと言うつもりはない。逆に「いいことも結構ある」という評判も聞く。例えばある雑誌では、何度取材を申し込んでも絶対に出てくれなかったさる文豪が、新刊の宣伝を目的としたタイアップ記事では気軽にインタビューに応じてくれたのだという。タイアップだからということで、普段は取材をさせない工場を見せてくれたり、普段は会ってくれないトップが登場したり、通常なら公開しない試作品を披露してくれたり。まあ、そういうこともよくあるようだ。こうした、通常では入手できない情報を読者の方々に伝え、それで喜んでもらえるなら、それはそれで意味があるだろう。

 ただ、「私たちは危地に赴きつつあることを自覚し畏(おそ)れるべし」とは思う。新年早々その意を強くしたのは、こんな話を聞いたからである。

 あるタウン情報誌が、一軒の喫茶店に取材にきた。そのあたりのグルメマップと街の紹介記事を掲載するので取材に応じて欲しいという。その取材が一通り終わったころ、雑誌の編集者が「記事を掲載するので広告も載せてくれないか」と持ちかけてきたが、店主はそれを断った。案の定、その街の掲載号が発売になっても雑誌は送られてこない。仕方がないので書店で購入してみたが、自分の店に関する案内記事はやはり掲載されていなかった。と、ここまでは想定内である。けど、驚いたのは、マップにすら店は掲載されておらず、何と「この付近には喫茶店はない」と書かれていたのだという。

 つまりタイアップは、それ自体に問題はなくてもブラックジャーナリズムと地続きにつながっている危地であり、まさしくこのタウン情報誌は、その危地にあってその境界線を踏み越えてしまった好例だといえるだろう。ちなみにブラックジャーナリズムとは、はてなダイアリーによれば「金銭の提供で報道をしたりしなかったり記事に手心を加えたりする不謹慎極まりない報道姿勢のこと。または、相手の弱みにつけ込んで「記事に書くぞ」と脅して新聞や出版物を購読させてお金を儲けること」である。

 その言葉を初めて知ったのは…(次のページへ