それは、1836年に拓かれたという、オーストラリアで最古の一つといわれる農場の中で始まった。メルボルン空港から車で30分も走ると、そこはもう木と草原だけの全くの自然が広がっている。10月下旬といえば、南半球は早春である。鳥がさえずりバラが咲き、木々には花が満開。だが、萌えいずる春の息吹の力は感じられない。その疑問は簡単に解けた。このあたりは、数年も続く記録的な大干ばつに襲われていたのだ。あらためて見直すと、緑は木々の梢に集まり、地面は褐色の支配する世界であった。

 屋内に入ると、暖炉では薪が勢いよく燃え盛り、心地よい暖が部屋中に広がっていた。昔ながらの農家を改造してつくられたある地元大手銀行の会議所は別世界である。そんな雰囲気の中で2007年のUNEPFI(国連環境計画・金融イニシアチブ)の年次総会は開かれた。UNEPFIは国連と外部の金融機関が作るパートナーシップである。環境と金融のベストプラクティス(最も優れた実践方法や最善の事例)を研究し、それを実践するために、世界中から180の金融機関が参加する。1992年、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた「地球サミット」を機に生まれた。

 かつて金融機関は、環境とは全く縁のない世界の住人だと考えられていた。だがそれは間違っていた。社会のお金の流れが変わらなければ実は何も変わらない。そんなことに気付いた社会は、金融界に環境問題への積極的な関与を要請したのである。それがきっかけとなり、今では世界の多くの金融機関が変貌を遂げた。温暖化をはじめとする様々な環境問題の解決を目指し、金融パワーを活用する取り組みが既に始まっている。

 初日は納屋を改造した集会所でのバーベキュー・パーティー、そして翌日は場所をメルボルン市内に移しての円卓会議である。年次総会と異なり、この円卓会議は2年ごとに開かれる。前回はニューヨーク,その前は東京、さらにその前はリオと世界を巡る。アジア・太平洋地区では2回目である。

 2007年はテーマとして「気付きから行動へ」が掲げられた。「もう言葉は十分だ、早く具体的アクションを」という切実な呼びかけであった。金融機関が環境を議論するといってもその中身は広い。もちろん、話題の中心は気候変動だが、エコロジー、生物の多様性に関する問題も重要な議題だ。日本では考えられないことだが、水問題や人権も大きな議題として取り上げられていた。

中国の台頭

 今回もそうだが、国際会議に出るたびに思うことがある。日本で議論されている問題と国際社会が心配する問題には、大きなギャップがあることだ。世界の目から見てとても重要なことが日本では全く無視されていたりする。情報通信手段がこれほど発達し、世界から洪水のように情報が流れこむ環境が実現されていても、情報デバイドが起きているのである。

 もう一つの気になる点は、女性の参加である。日本では、ビジネスが絡む会議で女性の姿をみる機会はとても少ない。参加していてもごく少数で、会議の進行に参加することも稀である。ところが海外では、会議参加者の半分は女性であるのが当たり前。筆者がパネリストとして参加したセッションでの発表者は男性3人に女性2人であった。

 肝心の会議だが、今回は経済発展が目覚ましいアジア勢の存在感が際立っていた。UNEPFIへの参加は欧米に比べ遅れていたが、現在ではメンバー数で3割近くとなり、EUに続き第2位の位置にいる。韓国にも勢いがあるが、何といっても注目度で群を抜いていたのが中国だった。会議の冒頭では、中国語でのスピーチが許され、同時通訳がされたのである。こんなことは始めてである。

 中国の環境問題が、国内はもとより世界に大きな影響を与えていることを考えると、中国の金融機関が多く参加することは大歓迎である。世界もそれを望んでいる。そして、中国が「自国の印象を世界に植え付けよう」とする意欲も強烈だ。それが功を奏しているのか、その存在感は大きくなるばかりである。何もこの会議に限ったことではない。2007年7月にはスイス・ジュネーブでグローバル・コンパクトのリーダーズサミット会議が開かれたが、そこにも中国は大派遣団を送り込み、会議の最後には何と会議参加者全員を昼食会に招待したのである。

CO2大国

 その中国は、「ポスト京都」ともいうべき国際的な枠組みに…(次のページへ

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