CO2大国

 その中国は、「ポスト京都」ともいうべき国際的な枠組みに参加するのか否か、参加するとしたらどういう負担を受け入れるのか。そのことが大きな関心を呼んでいる。その行方を考える上で重要なポイントが、二つの「世界一」だろう。第1の世界一は「貿易輸出高」である。中国は既に半期ベースでこれまで第1位を占めてきたドイツを抜いているので年間での世界一も確実だろう。もう一つの世界一は、実はワーストワンである。すなわち、温暖化ガスの排出量で米国を抜いてトップに躍り出るという観測である。オランダの研究機関は、2006年に既に中国が第1位になったと発表している。

 そこで、この質問である。「世界の人々は、世界に最も迷惑を掛けている国から最も大量に商品を買い続ける行為をいつまで続けるのであろうか」。いま中国は、自国製品の安全性の問題で米国をはじめ世界で叩かれている。この消費者の意識が、温暖化ガスの排出量に向かったらどうなるのか。温暖化の元凶であるCO2を出す国からの商品はもうお断りとなったら中国経済は崩壊である。

 もとより中国国内における環境問題は、日増しに深刻になっている。同国政府にとって、その解決は一刻の猶予も許されないのが実情だろう。海外からの技術や資金の援助がなければ自国だけでの解決は難しいかもしれない。そんな状況を考えると、中国は国内問題の解決と世界との協調を求めて「ポスト京都」においては国運を賭けた取り組みが求められているのである。

 京都議定書の議論が固まったのは1992年である。それから15年、中国の世界における位置付けは様変わりした。いつまでも「途上国の論理」にしがみついてはやっていけないことを最もよくわかっているのが胡錦濤主席その人ではなかろうか。

 もう一国、異彩を放っていたのが、開催国のオーストラリアだった。同国の金融機関(銀行から保険、年金まで)の気候変動への取り組みには驚かされた。米国と並び京都議定書に参加していない国とは思えない熱心さである。

 こちらに来て聞いた話だが、例の大干ばつが国民の環境意識を一変させたようである。干ばつだけではない。山火事にも襲われた。2006年から2007年にかけては局地的豪雨と洪水にも見舞われている。暴風雨も激しさを増した。温暖化もたらす気象現象による被害が続出しているのである。

世界は変化している

 それが何によって引き起こされたのかを、地元の人たちはよく知っている。試しにタクシーの運転手と四方山話をしてみたのだが、日本がどこにあるかも知らない(中国と地続きだと思っているようだった)のに、干ばつの話を出すとすぐさま「それは温暖化によるものだ」との答えが返ってきた。

 オーストラリアでは2007年11月の総選挙を控えてハワード首相と政権奪還を狙う労働党が激しい争いをしている。草の根での環境意識が激変した選挙民に対し労働党は政権に就けば温暖化ガスの削減義務を伴う国際的枠組みへの参加を公約として発表した。これが実現すれば米国に対して大きなプレッシャーとなる。

 日本に住んでいて感じる以上に、世界の人々の意識は変わり、それに反応するように世界のビジネス界も大きく意識を変えつつある。もはや「環境にやさしくしよう」などというセンチメンタルなアピールではない。本物の危機に直面しているのだという認識のもと、「本気でそれに立ち向かわなければ未来はない」という強烈な危機感をみなが共有し始めているのである。オーストラリアの大手年金基金の人の言葉が忘れられない。「我が国はこれからの12カ月で大きく変わる。短期思考ではもうダメだ。30年、40年といった長期のビジョンがなければやっていけない時代になってしまった」と。

 いま、世界は大きな転換点にある。21世紀前半の、地球社会の運営ルールを巡って新しい国家間の争いが始まった。ポスト京都を巡る動きは一国の将来を決めかねない重さを秘めている。まさしく覇権争いなのである。ある石油メジャーの予測では、2015年に温暖化対策で世界をリードしているのは間違いなく米国、そして最も活発な国が中国だといっている。2015年といえば、あと10年もない。すぐ目の前である。

 世界ではパラダイムシフトを目指しての奔流が渦巻き始めた。ひるがえって、日本の政治はどうなのであろうか。日本のビジネス界は何をしようとしているのであろうか。既得権益と国内志向から抜け出せない日本。考えるほどに背筋の寒くなる思いに襲われた3日間であった。

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著者紹介

末吉竹二郎(すえよし・たけじろう)=国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEPFI)特別顧問
1945年1月、鹿児島県生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行入行。ニューヨーク支店長、同行取締役、東京三菱銀行信託会社(ニューヨーク)頭取、日興アセットマネジメント副社長などを歴任。日興アセット時代にUNEPFIの運営委員会のメンバーに就任したのをきっかけに、この運動の支援に乗り出した。2002年6月の退社を機に、UNEPFI国際会議の東京招致に専念。2003年10月の東京会議を成功裏に終え、現在も引き続きUNEPFIにかかわる。企業の社外取締役や社外監査役を務めるかたわら、環境問題や企業の社会的責任(CSR/SRI)について、各種審議会、講演、テレビなどを通じて啓蒙に努めている。趣味はスポーツ。2003年ワイン・エキスパート呼称資格取得。著書に『日本新生』(北星堂)『カーボン・リスク』(北星堂、共著)『有害連鎖』(幻冬舎)がある。