「日本のものづくりの本質は、引き算だと思うんですよ」。こんな説を、PEC産業教育センターの山崎昌彦氏にうかがった。同センターはトヨタ生産方式のカリスマ伝道師として知られる山田日登志氏が主宰する組織。ここで副所長を務められている山崎氏も、数多くの現場でカイゼンを指導してきた「ものづくり論のプロ」である。

 和室の欄間(天井板と鴨居の間の空間に設置される装飾板)を例に挙げ、山崎氏は言う。「元は1枚の板。それを彫っていって透かし模様を作っていく。つまり、引いていくわけです。日本古来のものを見ていくと、このような方法で作られたものが実に多い」。

 では、極めて日本的な水墨画などはどうだろう。あれは墨を加えていくのではないか。そんな疑問をぶつけてみると、「いやそれも引き算型ではないでしょうか」との答えだった。白い紙に墨を入れることで、白を引いていくのだという。白い紙は全面の光。そこに墨を入れることで影が生まれる。つまり、「光の引き算」が水墨画の本質である。そのことに改めて気付かされ、いたく感心した。

一発勝負

 実は私には、小学校時代から成人するまで、日本画の先生について水墨画を習っていたという、実に若者らしくない経歴がある。その趣味が高じて大学受験では東京藝術大学を志望したのだが、受験科目には「デッサン」がある。その対策ということで1年間、洋画の先生についてそれを習うことになった。そこで、最初の課題を提出したときに言われたことが「描くことは大事。でもそれと同じだけ、消すということも大事なのだよ」というものだった。

 一度紙に置いた墨は消せない。だから、ひたすら一方的に描いていく。その習慣が身に染み付いているので、その法でデッサンも描いていたのだ。ところがデッサンはコンテや鉛筆で描くので、一度黒く塗りつぶした部分の一部を後で消すということができるのである。この消すという行為こそが、紙面から一度奪った光を再び足すという行為にほかならない。山崎氏の説を借りて言うならば、水墨画は一方的な引き算、デッサンは足し算と引き算の合わせ技、といえるだろう。

 こうも言うことができそうだ。デッサンだけでなく、油絵などの洋画は一般的に、上書きすることで前歴を「消す」ことができる。つまり、後でいかようにもやり直しが利くのである。これに対して日本人に愛されてきた水墨画や日本画、書などは、やり直しが利かない。実にシビアな一発勝負である。

 西洋的なものを塑像、日本的なものを木彫とすれば、やはり同じことが言えるだろう。塑像は粘土で作るので、削りすぎれば盛ってと、修正ができる。ところが木彫は、基本的には削る一方で、削り過ぎても修正はできない。つまり、「前進後進を繰り返しながら最善の結果を求める」のが西洋流で、「前進一方で一気に完璧な結果を出そうとする」のが日本流ということか。

手を入れる隙

 建築物などでも、何やらその傾向が…(次のページへ