上司の宿命

 これが、「上司」という存在の宿命なのだと彼女は書く。「自分が間違えると、いつも他の人のせいにする。でもチームが成功するとすべて自分の手柄にする」といったムカつく上司が生まれてしまう最大要因は、遺伝や幼時虐待の結果ではなく(まれにそのようなケースもあるかもしれないけれど)、強者たるべき権力を与えられることにある。だから、誰でもどのような性格の人でも、権力さえ与えられたら、あっという間に身勝手で自己中心の上司に変身してしまう可能性があるのだと。そして、このようなムカつく上司こそが、不満をかき立て、部下からやる気を奪うことで「高い能力を備えた社員」を「ダメ社員」に変身させ、企業を停滞に導く元凶になるのである。

 この問題が米国を中心して熱心に議論されるようになり、「リーダーシップ」に代わって「フォロワーシップ」が注目されているのだという。前述したのと同じ連載のなかに出てくる話だが、さる調査結果によれば、企業の成功がリーダーによってもたらされる割合は2割以下で、フォロワー、つまり従業員の功績が8割以上を占めている。その事実があるにもかかわらずリーダーシップばかりを論じるということは、企業に実際に貢献している大多数の人たちを無視しているということなのだと、彼女は指摘する。

 この、「フォロワーシップ」の考えに沿った代表的な手法として挙げられるのが、腐敗の温床となり従業員の士気をはなはだ鈍らせる原因となる封建的階層を減らし、フラットな組織にすること。「リーダーにとって管理が楽な組織」にするのではなく、「従業員のやりがい、やる気を最大限に高めるための組織」にすること、と言い替えることもできるだろう。

 まったくその通りだなと、最近、あらためて思っている。いや、個人的な話で恐縮なのだが、あるゲームに没頭しつつその意を強めたのである。

野望

 夏季休暇は家でごろごろ、と思って実践していたときのことだ。さぞや楽しかろうと思ったのだが、実際に単にごろごろしていても何だかあまり楽しくもない。いや、むしろ苦痛だということに気付いて、昔買ったゲームを再開することにしたら、またまたハマってしまったのだ。悪いことに休暇が過ぎてもまだ終了せず、休日のたびに「だって面白い番組がないんだもん」とか言い訳しつつ画面にしがみつき、妻の顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

 そのゲームというのは…(次のページへ