やはりみなさんものすごくよく考えていて、ホンネを語りはじめると、中小企業に対する貴重な提言がポンポンと出てくる。何人かの方には「面白いのでぜひ寄稿をお願いできませんか」と頼み込んでみたのだが、ほとんど断られてしまった。中小企業に対する苦言的要素を多分に含むので、「いや、まずいでしょ」と言う。

 「それって何なんだろう」とかねがねと思っていたところに先日、日本経済新聞に掲載されていたソフトブレーン創業者である宋文洲氏のオピニオンを読み、やはりそうだったのかと少し納得した。記事のタイトルには「『弱者こそ正義』脱却を」とある。そこで宋氏は、「日本には独特の清貧の思想というのがあるが、それが『貧しい方が清い』と曲解され、『弱者こそ正義』という風潮が生まれている」と指摘されている。どこかで「日本にはタブーが多すぎる」とも言っておられた。マスコミですら「弱者は正義」という風潮に逆らえず、むしろ積極的に迎合し、それは「中国の文化大革命のよう」と。

 思い起こせば数年前、「オフレコ」ではない取材の場ではっきり中小企業の問題を口にされていたのも宋氏だった。聞いたこちらがちょっとドキマキしたのをよく覚えている。ということは、自分でも知らないうちに、やはりこの話題は「タブーである」と思い込んでいたのかもしれない。

格差の構造を考える

 少し反省しつつ、せっかくいろいろな方の意見も聞き、考えてもきた問題なので、穏便にこの問題を整理してみたい。ただ断っておかねばならないのは、中小企業といっても業種も内情もさまざまで、すべての企業に共通する話ではない。製造業を中心とする、現在大きな壁に直面している中小企業にまつわる一般論であることをご理解いただきたいと思う。

 まず、多くの方と議論をさせていただく際に、よく引き合いとして挙げられたのが米国のベンチャー企業だった。それとの比較ということでよく話に出たのが、「米国のベンチャー企業は大企業に成長する、あるいは消滅する一時的な状態であるのに対して、日本の中小企業は固定的な状態であることが多いのでは」ということだ。米国のベンチャー企業は将来大企業になるか消滅するかのどちらか。それに対して一部の日本の中小企業は、何だか中途半端な規模のまま、成長するでも消滅するでもなく存続しているように見受けられる、との指摘である。

 「米国のベンチャー企業はストックオプションなどを含めると総じて大企業より報酬が高いのに対して、日本の中小企業は大企業より一般的には給料が低い」ことも、特徴的な差として多くの方が指摘されていた。さらには、日本の中小企業は、特に製造業の場合、系列会社であったり協力会社であったりと、程度の差はあっても大企業などの傘下、または強い影響下にある場合が多い。これに対して米ベンチャー企業は、大企業と関係があったとしても、ビジネス・パートナーとして対等かつ独立した立場にある場合がほとんど、との話も出た。

 これらの指摘と合致する典型的な例として大企業の下請けをしている中小企業を想定してみると、その構造が具体的に見えてくる。下請け企業であれば、当然、基盤を安定させるためには大口発注主である大企業とのパイプを太くしなければならない。大企業のOBを役員に迎える、一部出資を仰ぐなどということもあるだろう。こうすることによって中小企業は大企業から安定的な庇護を受け、それが最適規模でなくても安定して事業を継続させることができるようになる。

 ただし、条件がある。大企業に「自ら手掛けるより任せた方がよい」と思わせなければならないということだ。その代表的な手法が、大企業より低コストで商品を作るということだろう。つまり、「大企業より低コスト」であることが、競争力の源泉になるのである。このことが、「総じて中小企業は大企業より給料が安い」ということにつながっている。

仮想敵はだれか

 この構造が、崩壊の危機にさらされている。…(次のページへ